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深みとは表面に浮かんでこないコクのようなもの

人格に深みがあると言われる人がいます。私的にはある瞬間に口にした一言に感じ入ることがあったりとか、そういう人の印象があります。深いというのはその人が生きてきて経験したことから学んだ知識などが含まれている――私は話していて決して表面的ではないものを感じます。

人からまた聞きしたものや、本で読んだだけの知識から得たものでは語り切れないものなのではないでしょうか。実際に自分で考えたことだからこその説得力のようなものを感じるのです。これは、私が人間的に深みがある人だと感じる根拠のようなものです。


身近な人から聞いた話ですが、先日とある人に「話が浅い」と言われてしまったそうです。私も陰で「思いついたことをただ言っている」と称されていました。私の場合はインスピレーションを大切にしていることもあり、たまにそういうこともあります。けれども、その身近な人は私から見てとても経験豊富だし、私からはそう見えなかったのです。

ふたりで「この人(いろんな人です)はどういう理由でこういうことを言ってきたんだろう?」という議題で深く考えたりすることもあります。そうして出てきた何となくのおぼろげな答えは、ときに確信に近く至っていることもあったりします。そのときの身近な人の指摘は参考になることばかりです。

それなのにどうしてだろうと首をかしげていると、新しいエピソードを聞きました。身近な人は相手が傷つかないようにと最大限の配慮をしながら話しているとのことだったのです。これでは本当の自分として話せるはずがありません。


心を開いて話せることとそうでないことには大きな差があると考えます。言葉を選ぶがゆえに核心をつくようなことを言う訳にはいきませんし、傷つけないようにと言い方も工夫する必要があります。その話を聞いて実際に私も同じように話しているところがあるのかもしれないと気付きました。

自分から意見を言わないように、基本的には受け身でいるようにと心掛けていたのです。思うところがあっても言わないようにしていました。これでは深みなんて見せる機会があるはずもありません。

誰でも知識や経験など、得意分野や苦手分野もあると考えます。例えば仕事で専門的なことをしている人は特定のことに詳しいでしょうし、いくらでも語ることができるかもしれません。仕事でなくても家事や勉強に詳しい人もいることでしょう。


けれども、それを表面的に普段から出している人はあまりいないのではないでしょうか。特別有名な人でもない限り、自分のことをひけらかさない人の方が多いような気がしています。いえ、そういった話が好きな人もいると思うのでこのあたりは断言はできませんね。

いろんな人がいろんな自分だけの生き方からくる独自の感覚を持っていると思います。だけどそれが見えないからと、その人に対して「人間的に浅い」とか「何を考えているかわからない」とか「何も考えてなさそう」などと決めつけてしまう。

それは何だかその人を深く知ろうとしない、もしかしてすごく残念なことなんじゃないかと思ってしまいました。近くなることができなければ、深いところまで見ることができない人もいるのでしょう。


人格的なことでなくても、目に見えないものというのはたくさんあります。プレゼントという形でなくても差し伸べられる優しい気持ちや、さりげない心遣いなど、気付いていないだけでたくさん受け取り損ねているものがあるのかもしれません。

「たいせつなものはめにみえない」というのは星の王子さまに出てくる印象的な言葉ですが、その人自身を見ることは大人になると難しくなってしまうところがあるそうです。

それでも「その人が本当はどういう人かということ」を決めつけずに、どういう意味でこういう行動になったのだろと、知ろうと考える自分でありたいと思いました。


ここまで読んで下さってありがとうございました。




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スピカ
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