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【療育へつながる の内容】


ここでは、息子にいつ発達に偏りがあることが分かり、どのように療育へとつながったかというお話をします。


療育施設に通い始めたころの母としての迷いや苛立ち、そして、先生方に支えてもらえた安心感など。小学校での通級学級の様子や、中学、高校から社会人と、内容が変わりながらも療育が継続されていることも書かれています。


続けていても、点数のように毎回目に見えて効果が分からないのが療育です。それでも何かが積み重なり、振り返ると身に着いたことが増えていくのも療育。継続の大切さをお伝えできたらと思っています。





【すべてはここから始まった】



息子の成長にチェックが入ったのは、3歳児検診でした。
2歳頃から、すでに初めての場所や古い建物を嫌がるようになっていて、3歳児検診の会場が予防接種を受けた所だったせいか、嫌なイメージが残っていたようで、建物に入る時から泣いてしまい検診どころではありませんでした。


部屋に入れずに階段をうろつき、手すりを横目で追いながら他の子供を避けるようにしている息子をみて、保健師さん達は注目していたのでしょう。検診の内容をほとんどこなせないまま、「お母さん、この後ちょっと話しましょうか?」と優しく言われました。すでに大泣きの息子。疲れきっているのに、更になんで別室へ行かなくちゃいけないの?とは思いましたが、嫌だとは言えませんでした。



薄暗い廊下の先にあった別室には、優しそうな先生がいました。そこでおそらく、発達に偏りがあることを指摘されました。言葉が遅いとか、なんとか…。そして、言葉の教室に通うことも勧められました。


私にしてみたら「検診もろくにしてないのに、息子の何を診て言葉の教室なんだ?」と言いたいくらい。当時の私には、「3歳児検診を受けられないこと自体が問題」とまでは理解できませんでした。「部屋に入れないのは、大勢子供がいるから。1人っ子だからうるさいのが苦手なんだ」、「泣いているのは眠たいから。子供はそんなもんだ」、「積み木がつめないのは機嫌が悪いから。家では出来ている」と思っていました。



他にも、納得できないことは山ほどありました。けれど、保健師さんに文句が言いたいというよりは、「息子の何を分かっているんだ!一番の理解者は私だ!」と思って、その場にいる専門家の方全員をバカにしていました。けれど、態度に出すわけにもいかず、当時住んでいた町の言葉の教室で、発達検査のようなことをすることに承諾しました。



後日、言葉の教室で通室するかどうかの検査が行なわれ、通室を勧められました。今でも唯一覚えている検査は、息子の背後から太鼓を叩いて振り向くかどうかをみるもの。「ほら、反応しないでしょ?」、「これくらいの年齢なら振り向くのよ」と言われ、「バカにしてるのか?」と思ったことを、よく覚えています。

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