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『ハンナ・アーレント、三つの逃亡』を読んで

今回は、ケン・クリムスティーン著、百木漠訳、『ハンナ・アーレント、三つの逃亡』(みすず書房、2023年)を読みました。

これまでアーレント本人の著作や日本の研究者による解説書を何冊か読んだことはありましたが、恥ずかしながらアーレント自身の人生についてはあまり知らなかったので、勉強になりました。

また、活字ではなく漫画形式で、同時代の著名人との交流が(空想も含めて)たくさん描かれていて、ハンナという一人の女性の生涯をよりリアリティをもって想像することができる、面白い読書体験でした。


1.ハイデガーと三つ目の逃亡

同書は、ハンナ・アーレントの生涯を三つの逃亡として整理しています。

一つ目は、ベルリンからパリへの逃亡。二つ目は、ヨーロッパ大陸からアメリカ合衆国への逃亡。そして三つ目は、学生時代の師であり愛人でもあったマルティン・ハイデガーとの決別、あるいは「哲学」からの逃亡。

人間存在を死によって規定し、単一の真理を追い求めるハイデガーと、人間存在を出生性と複数性によって捉え返そうとするアーレント。二人の人間観と哲学が非常に対照的に描かれていました。

ナチスを支持したドイツ人ハイデガーと、ユダヤ人アーレントとが喧嘩別れした、というようなイメージを持っていたのですが、ハイデガーという存在がいたからこそアーレントの思想的な強度がもたらされたのだと思います。

また、ヴァルター・ベンヤミンの存在も非常に重要だと思います。アメリカに亡命する前にアーレントに草稿を託し、スペインで自死を選んだベンヤミンの存在は、運よくアメリカに渡ることができたアーレントにとって忘れがたく、思想的にも大きな影響を与えているのだろうと思いました。

2.ホロコーストという「深淵」と〈悪の凡庸さ〉

アーレントの生涯全体に暗い影を落としているのは、ナチスドイツによるホロコーストであることは間違いありませんが、アーレント自身がそれを「深淵」と表現し、連合国が勝利した戦後においても忘却することなく、問う価値のある主題として手放さなかったことに感じ入りました。

また、現代にいたるまで論争を巻き起こしている『エルサレムのアイヒマン』の〈悪の凡庸さ〉という概念に関して、アーレント自身の生涯を知ったうえで改めて向き合いたいと思いました。

ホロコーストという理解できないほどおぞましい出来事を前にしたとき、人々は恐怖に震えると同時に、「怪物」を背後に用意してしまうものです。(ひょっとするとアーレント自身も。)

これはあくまで同書を読んだうえでの私の想像ですが、アーレントが〈悪の凡庸さ〉という言葉を用いた狙いは、アイヒマンの「無思考」を批判するにとどまらず、そこに「怪物」を見出そうとする同時代の人々の「無思考」をも批判の射程に入れていたのであり、それゆえにこれだけの論争を巻き起こしたのではないでしょうか。

アイヒマンが「凡庸な役人」だとか「機械の歯車にすぎない」だとか、そういうことをアーレントが言いたかったわけでは決してない。その集団や社会で共有されている道徳的な規範に従って自己を全体主義に染め上げてしまう危険性が身近に潜んでいることに警鐘を鳴らそうとした。このように解釈することもできるのではないでしょうか。

(このように書いてはみたものの、私のような素人の感想では非常に心もとないですし、アーレントのアイヒマン解釈自体も歴史学の検証に耐えうるのかどうかは論争となっているようです。ご関心のある方は『〈悪の凡庸さ〉を問い直す』をぜひお読みください。)

3.アーレントとシオニズム

最後に、アーレントとシオニズムとの関係についてです。

同書では、ナチスドイツによるホロコーストが迫る中、アーレントがユダヤ人の子供たちをヨーロッパから脱出させるのを手伝う活動をしたり、ユダヤ軍の創設を訴えたりした姿が描かれています。

アーレントとシオニズムの関係については、同書ではほとんど触れられていませんが、アーレントの立場は複雑で、それ自体が論争的なテーマとなっているようです。

以下の論文(小森謙一郎、「サイードのために―アーレントとパレスチナ問題1」、武蔵大学人文学会雑誌「The Journal of Human and Cultural Sciences」、2018年度第50巻第1号)を読んだ限りでは、以下のようにまとめられそうです。

アーレントはシオニストの運動に積極的に参加し、ユダヤ軍の創設を訴えるなど、ユダヤ人の民族としての存続を切望していた。一方で、アラブ人を排除した国民国家イスラエル建国を目指す主流派に対しては批判的で、ユダヤ人とアラブ人の共存できるあり方を模索していた。しかし、1967年の第三次中東戦争以降はイスラエルを支持しており、エドワード・サイードはこの立場の不一致に疑問を呈している。

https://repository.musashi.ac.jp/dspace/bitstream/11149/2028/2/jinbun50_01_035_054_komori.pdf

ユダヤ人として20世紀を生き抜いたアーレントにとって、シオニズムに対する思いは複雑なもので、一貫した立場を貫くことが難しかっただろうことも想像できます。

他方で、アーレントがもし生きていて、今パレスチナで起きていることを見たらどう思うのか、少し思いを巡らせてしまいます。

ハイデガーと決別し、ホロコーストという「深淵」と向き合い続けたアーレント。そんな彼女が編み出した出生性と複数性の思想が、異なる民族同士が共存する未来へと開かれていてほしいと、切に願います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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