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機能性ディスペプシア闘病記

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日本の新国民病とも呼ばれる機能性ディスペプシアの闘病記です。人生全体に関わるものだったので、発病前(幼少期)から完治までの流れを綴ります。
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記事一覧

勉強する理由[機能性ディスペプシア闘病記-9]

大学の人間関係に大きなストレスを感じていた夏、浪人時代にお世話になった予備校のチューター(勉強を教える講師ではなく、生徒のケアなどをする職員)から声をかけてもらった。 個別指導部で新しく校舎を出すため、講師としてアルバイトしないか、というお誘いだった。 何かアルバイトしたいな、と検討していた矢先だったので、ありがたく引き受けた。 お世話になった恩返しも、もちろんしたかった。 新校舎の教室長は中田さん(仮名)。 アルバイト社員は合計で7人ほど。 講師1人で、生徒2人を教える

他者への期待[機能性ディスペプシア闘病記-8]

大学では教育学部に入った。 特に教員を目指していたわけではないが、「金八先生」が好きだったので、漠然とその分野に興味があった。 初回の授業から、違和感を感じた。 内容が、あまりに現実から乖離しているように思えた。 理想論というか、机上の空論に近い。 教育とは、僕のイメージでは「支援」あるいは「子どもの可能性を引き出す」というものだと認識していた。 学部での定義は「矯正する」「これなしではまともな人間に育たない」という、傲慢なニュアンスにも違和感があった。 グループワーク

浪人時代に恋の勉強[機能性ディスペプシア闘病記-7]

現役での大学受験は合格ならず、浪人することになった。 成績はそこそこ良かったので、予備校の特待生として受講料は免除になった。 貧しい実家にその点では負担をかけずに済み、ほっとした。 予備校で好きな人ができた。 男子校の3年間は色恋から遠ざかっていたので、久しぶりの胸の高鳴りであった。 が、その人には彼氏がいたため、特に気持ちを伝えることなく勉強に励んだ。 嘘です、片思いが辛くて勉強どころではない時期があった。 しかも、ストーカーのトラウマで女性恐怖症があるにも関わらず、恋を

大変な人に憧れちゃった[機能性ディスペプシア闘病記-6]

中3の10月に、金八先生の第6シリーズが始まった。 上戸彩さんが性同一性障害の生徒を演じて話題になった。 僕の学校にも、ホルモンのバランスを生まれつき欠いていて、見た目は男らしいけれど、陰茎がついていなく、性自認が女性の後輩がいた。 彼女はこのドラマが救いだと言っていた。 それまではどんなに説明しても理解してもらえなかった自分の特性が、スムーズに伝わるようになったと喜んでいた。 第1話や22話で繰り返された、「見渡す限りのもの、人生で起きる出来事には意味がある」というお説

生徒会独裁日記[機能性ディスペプシア闘病記-5]

イギリスから帰国して開き直った僕は、生徒会長に立候補することに決めた。 時系列が前後する。 ストーキングをしていた女子は、2年の1学期に僕に無理やり性行為をしようとしてきた。 恐ろしくて突き飛ばした翌日から、学校に来なくなってしまった。 もっと早く大人に相談していれば、とか、もっと早く毅然とした態度で接していれば、とか、相当悔やんだ。 厳密には2人、同級生に相談したことがあったけれど、 「そんなに好かれてるなら、ヤっちゃえば」 くらいの返答だった。 それは双方の気持ちを本

英国見聞録[機能性ディスペプシア闘病記-4]

金八先生のドラマにハマって、毎朝1時間、お説教を存分に味わってから登校するのがルーティーンになった。 学区のハズレに住んでいたから、徒歩30分ほどかけて登校していた。 行き帰りの時間はずーっとイヤホンで海援隊の曲を聴いていた。 校則違反である。 懐かしのMDウォークマンである。 校則違反である。 海援隊のCDのみならず、武田鉄矢さんの著書も全て集め、すっかり傾倒してしまった。 金八先生と武田鉄矢さんは別人であるのは百も承知で、それぞれ欠点も含めて素敵だと思っている。 2年

あの人のように [機能性ディスペプシア闘病記-3]

初恋は小学5年生だった。 白いブラウスの似合う、お嬢様風の子だった。 当時の小学生では珍しく、日傘をさしている子だった。 ある日夕暮れに理科室へ忘れ物を取りに行ったら、彼女が窓辺でひとり泣いていた。 わけを訊いても何も話さないので、「僕の失敗談ベスト10〜!!」といきなりダサい自分のエピソードトークをしてみた。 しかもベスト10と言いつつ、7つくらいしか浮かばなかったし。 彼女は途中でくすくす微笑んでくれて、最後にはゲラゲラ笑ってくれた。 これが僕の恋の原点なのだけれど

「ま、いっか」の先生 [機能性ディスペプシア闘病記-2]

前回、それなりに暗い感じで少年時代を綴ってしまったけれど、僕としてはあの環境が普通であった為、体感としてはそこまで苦痛ではなかった。 まだ他の家と比べて我が家が変わっている、ということも認識していなかったからかもしれない。 小学1〜3年くらいはそれでも引っ込み思案で、おとなしい子だった。 勉強の成績もあまり良くなく、パッとしない印象だったろう。 小2の頃、仲の良かった同級生が、成績不振を理由に担任から怒られていた。 「もっと頭のいい子を見習いなさいよ!ほら、頭のいい子、

カルト宗教2世としての少年時代 [機能性ディスペプシア闘病記-1]

機能性ディスペプシアの闘病記であるが、人生に大きく関係するものなので、幼少期からの記憶をたどる。 一般的に、一人で留守番を始めるのって、何歳くらいなんだろう。 僕は3歳からしていたようだ。 外出する時、親はもちろん心配して連れて行こうとしたが、僕が頑なに一人で家にいたいと主張したらしい。 当時の口癖が「旅に出たい」で、その頃から、親と居るのが嫌だったのかもしれない。 なんだよ、「旅に出たい」って。寅さんかよ。 僕が子供の頃、両親はカルト宗教に入っていた。 一応教団名は伏せ

はじめの挨拶 [機能性ディスペプシア闘病記-0]

はじめまして、「そらの空き地」と申します。 キザなペンネームをつけてしまい、非常に後悔しています。 普段交流のある人からはキャラに合わないと失笑を買うことでしょう。 いーよ、笑え笑え。 大学3年生の頃に機能性ディスペプシアを発症した。 僕の場合、毎食後に強い胃もたれが生じ、ぐったりと動けなくなるという状態が毎日続いた。 抜本的な治療法もなく、西洋薬(胃腸薬、精神薬)、漢方薬をいろいろ工夫したが一向に改善されず、年々症状は重くなっていくばかり。 うつ病も併発した。 なんと