浪人時代に恋の勉強[機能性ディスペプシア闘病記-7]
現役での大学受験は合格ならず、浪人することになった。
成績はそこそこ良かったので、予備校の特待生として受講料は免除になった。
貧しい実家にその点では負担をかけずに済み、ほっとした。
予備校で好きな人ができた。
男子校の3年間は色恋から遠ざかっていたので、久しぶりの胸の高鳴りであった。
が、その人には彼氏がいたため、特に気持ちを伝えることなく勉強に励んだ。
嘘です、片思いが辛くて勉強どころではない時期があった。
しかも、ストーカーのトラウマで女性恐怖症があるにも関わらず、恋をしてしまった自分の心をどう処理して良いか途方に暮れてしまった。
人はなぜ恋をするのだろう、と哲学書を読み、答えが見つからず、生物学や進化論を調べたりするも、納得いくものがなく、最終的に脳内ホルモンの勉強をして落ちついた。
恋はフェニルエチルアミン、愛はオキシトシンというホルモンが関係しており、それぞれがどのような条件で分泌されるかなどを把握し、なんとなく心が落ち着いた。
たぶん、文系か理系かでいえば、僕は理系の脳に近いのではと思う。
しかし、計算問題が絶望的に苦手だったため、テストの点はあまり取れなかった。
反対に、国語や社会はあまり好きでなく、楽しくもなかったが、点数は取れたため、必然的に文系の学部を受験することになった。
このねじれが我ながら厄介であった。
この頃、ストレスを感じると胃痛を覚えるようになった。
中学3年生の時、文化祭の準備で遅くまで残った帰り道、急に激しい胃痛に襲われて、学校近くの公園から親に迎えを頼んだことがあった。
あれが生まれて初めての胃痛だったが、高校では特に不自由なく暮らしていた。
浪人時代は模試の結果に一喜一憂するなど、多少メンタルの浮き沈みがあり、先のことを考えて不安になった時に胃がキリキリするようになった。
そして、なんだかんだと時はすぎ、第一志望の大学に合格することができた。
一応、私立ではトップの大学であった。
高校受験の時もそうだったが、合格した学校名を言うと友達が減る、という現象があった。
訊かれない限りは言わない主義なのだが、訊いておいてシラけて連絡来るのが減ってもな、と当時は悲しかった。
高学歴に対する風当たりは、SNSを見る限りまだまだ強いのかな、と観察しているけれど、低学歴の方の嫉妬も相当なものである、とは正直思う。
学歴は人間性には一切関係ない、というか人格を構成する1つの要素に過ぎない。
だから、高かろうが低かろうが、本当にほぼほぼ関係ない。
けれど、たとえば政治家や公務員を批判する文脈で、高学歴が悪く言われるのは、そこに多少の嫉妬があるように正直見えてしまう。
本当に一切関係ないのだけれど。
大学の入学式には晴れやかな気持ちで行ったけれど、しかしどこかで一浪したことを引け目に感じていたように思う。
全然よくあることだし、他の人が気にしていたら「なんだ、そんなこと」と思うに違いないけれど。
この「ちょっとした引け目」が、元々家庭環境で撒かれていた、自己否定の種を発芽させてしまったのだ、と今なら分析できる。