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皇教庁の敷地の北端に、歴代の皇教たちを埋葬した霊園があった。小高い丘の頂上から階段状に墓石が立てられ、昼間は太陽の光が大理石から削り出されたその墓石群を美しく輝かせていた。 一人の年老いた男が今、真新しい墓石の前に片膝をつき、祈りを捧げていた。しばらくすると彼は立ち上がり、亡き輩を見下ろしながら語りかけた。 「皇教って奴はよ、まったくもって不自由な人種じゃな。なぁ、ウジェル」 そうしてケラケラと腹を抱えて笑った。突然の人の声に驚いたのだろう、小鳥の群れが一斉に飛び
「私の父は軍人で、プライドの高い将校だった。私はそんな父に幼き頃から軍人のあるべき姿を教え込まれ、十二になればもうライフル銃を手にしておったのです。しかし私は銃を撃つのが嫌だった。殺すこと、破壊することだけに使われる道具に触れたくなかったのです」 皇王はこの皇教の昔話が一体どこに向かうのか測りかねていた。それだからこそ、余計な詮索はせずに話を合わせることにした。 「師は軍に入隊した折には衛生兵を志願したのだと、朕は幼少の頃に学んだが、そういう理由であったか」 皇
イビジスダン皇国軍が自国メトンの街にてアラバキエル宗主国軍を迎え撃ち、これを壊滅させた市街戦から五十余年の月日が流れた。 両国の長い争いの歴史から紐解けば、この『メトンの戦い』は極めて小規模な小競り合いだったかもしれない。だが、両国がこの戦いの後に休戦状態に入ったとなれば、その歴史的意義の大きさを感じられよう。 休戦に導いたのは、たった一人の人間だった。それはもはや神の為せる業であった。 そもそもイビジスダンとアラバキエルの戦の火種は、宗教戦争の意味合いが強
ウジェルは色彩を欠いたその残酷な風景の中に、真っ赤なマフラーだけを探した。ここが戦場の只中であり、常に死と隣り合わせなのだという簡単な事実すら忘れてしまうほどに、ただひたすらに。 遮るものが何もない、ガラスも格子も嵌められていない窓際にウジェルは立っていた。 「身を乗り出すな!引っ込め!」 ハンマドがウジェルの腕を掴んで窓から引き離そうとした時だ。後方にハンマドが弾かれたように飛んだ。そしてそのまま床に横たわったまま動かない。ウジェルは瞬時に状況を理解して
司令部との交信を終えたハンマドは、苦虫を噛み潰したような表情でウジェルに向き直ると、脇に抱えていたヘルメットを床に叩きつけた。出会ってからまだ1時間ほどしか経っていないが、ハンマドという男は感情をすぐに表に出す人間なのだということを、ウジェルは十分に理解していた。だからウジェルは努めて彼を刺激しないように注意して発言していた。 「司令部はなんと?」 「ひでぇもんだよ、クソッたれが!」 そう吐き捨てるように言うと、ハンマドはリュックの中から水筒を取り出し、喉を鳴ら
「――この街、またアラバキエルの奴らに滅茶苦茶にされるの?」 少女は目の前の兵士二人に挑むような口調でそう訊ねてきた。首に巻いた真っ赤なマフラーが、少女の気の強さを増長させているようだった。 突然現れて無遠慮な口を利くその少女に腹を立てたのか、ハンマドは一歩前に出て少女に近付き、投げ付けるように言葉を吐いた。 「おい、お嬢ちゃん。失礼なこと言うんじゃねぇよ。俺たちがいるんだ、クソどもの好きになんてさせるわけがねぇだろうが。皆殺しだよ、皆殺し。一人残らず排除してやる。
マイペースで不器用なウジェルは、いつも失敗ばかりしていた。衛生兵として傷ついた兵士に治療を施す時も、注射針を血管から外れた部位に刺して怒りを買うことなど良くあることで、水を汲んで来いと指示すればタライを井戸に落としてくる。次はどんな失敗をするのかと、周りは嘲笑と侮蔑を込めてわざとウジェルに頼みごとをしたのだった。 流血騒ぎの喧嘩に駆けつけようと勢いよく飛び出したところまでは良かったが、路傍の石ころに幼い子供のようにつまづいてころぶ様は、彼らの格好の餌食となった。 あ
1 言葉という奴は時として、本当に無力なものだと思う。 困り果てている人に近づいてきて、『どれどれ、私がズバリ言い当てて差し上げましょう』などと遠慮なしに嘯いてくる。まるで胡散臭い占い師みたいに。 ドンピシャに言い当てられたら、そうそうまさにその通りですお見事パチパチと拍手喝采して差し上げたくもなるだろう。けれども、だ。満面ドヤ顔全開で言い放たれたその言葉が、こちらの渇望していたそれに全くと言って良いほどあてはまらなかったとしたら。これじゃない、欲しかったおもちゃは
皇歴1942年暁の月。 アラバキエル宗主国は、隣国イビジスダン皇国との十数年にも及ぶ長い戦争状態に終止符を打つべく、全兵力をイビジスダンの首都イビシャに向けて進攻させた。 不退転の覚悟で街道を突き進むアラバキエル軍に、イビジスダンの兵達は恐れをなして後退を始めた。日に日に戦意を喪失していくイビジスダン兵。そのような前線の戦況を受けたイビジスダン側の大本営は、わずかな兵力を敵地に残してそのほとんどを首都に戻すよう各地の戦線に伝令を派遣した。 皇歴1942年眠りの月