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【小説】奇跡 ⑦
「私の父は軍人で、プライドの高い将校だった。私はそんな父に幼き頃から軍人のあるべき姿を教え込まれ、十二になればもうライフル銃を手にしておったのです。しかし私は銃を撃つのが嫌だった。殺すこと、破壊することだけに使われる道具に触れたくなかったのです」
皇王はこの皇教の昔話が一体どこに向かうのか測りかねていた。それだからこそ、余計な詮索はせずに話を合わせることにした。
「師は軍に入隊した折には衛生兵を志願したのだと、朕は幼少の頃に学んだが、そういう理由であったか」
皇教は微笑みながら頷いた。
「私の生い立ちなぞを皇王様のお耳に入れる必要などないと、博士たちには常日頃から申しておったのに。その通りでございます。恥ずかしながら、私は父に反抗したのです。しかし軍隊に入らないという選択肢だけは、どうしても許されなかった。それをも拒否していたら、父は私を殺していたでしょうな」
皇教は一度咳払いをすると、居住まいを正した。いよいよ本題に入るのかと、皇王も心なし背筋を伸ばした。
「実戦に出るようになってから十数年の間に、たった一度だけ銃の引き金を引きましたわ。それがメトンの戦いで。義憤に駆られてやったことだが、慣れんことをするもんじゃあない。交戦中に目を傷付けましてな。塵だかなにかが入ったまま、こう、何度も目をこすったのです。瞼の裏でも切ったのでしょう。皇王様、私が何を言いたいか、お分かりか」
問い質された皇王はキョトンと瞬きをして皇教を見詰めていたが、やがてハッと仰け反りながら呟いた。
「まさか・・・」
皇教はその後に続くであろう言葉をくみ取り、そして強く頷いた。
「朕を、いや臣民を、師は騙したというのか!」
「騙した、そう捉えられても致し方ないでしょうな。私は意図せず現人神のように祭り上げられた。しかし、真実は終ぞ告げることはせなんだ。今、ここに至るまで。私はみなを確かに騙し続けてきたのです」
この国を守るために。皇教はそう続けたかったのであろうか。それはもはや誰にも分からない。皇王が間髪入れずに放った言葉に、皇教の想いの欠片は掻き消されてしまったのだ。
「朕にどうしろと言うのだ!臣民に公表すればよいのか?そうなればこの平和は一瞬間のうちに瓦解するであろう。それは師が一番理解しておろうが。その嘘を白日の下に晒すことは、師よ、大いなる混乱を我が国と、そしてアラバキエルにもたらすのだぞ!」
皇教は皇王と視線を合わさずに、自らの手のひらを眺めながら言った。
「皇王様、私は初めに言いましたぞ。老いぼれの戯言を話すと。忘れてくださって結構です。いや、どうしようとも皇王様の胸三寸に納めて頂ければ本望。私はもうそう永くはない。自分の身の事は一番自分が分かるというもの。ちなみに、私のこの左目はもう光を少しも感じられぬのです。神の遣いはもうすぐ死ぬ。ただそれだけのこと」
重苦しい沈黙が部屋に充満する。先に動いたのは皇教であった。
「皇王様。かつて神は我ら人の祖に向かい、こう声を掛けられた。『汝の為すべきことを為せ』と。私もそうさせていただいた。さて、次は一体誰が何を為すのであろうな」
時計の針はすでに真夜中を差していた。はや夜も更けた、休もうと言い、退室の意を示す皇教。呆然としながらも、皇王は戸外の侍従を呼んだ。やがてノックとともに侍従が入室すると皇教に肩を貸すようにして出て行った。
皇王はしばし沈思黙考していたが、しばらくすると考えがまとまった様子で何度も頷いた。彼は自身の右腕である軍総司令・ロベルトバリを呼び寄せた。
皇王は口元に笑みをさえたたえながら、総司令に命じた。
「明朝早くに、皇教ウジェル師が発たれる。歩兵部隊を帯同させ、安全に皇教庁まで送り届けよ。皇教は相当に耄碌されているのでな。ゆめゆめ、テロリストどもの標的になどされるでないぞ。よいな」
総司令の目をまっすぐに見て、その真意をしっかりと伝えた皇王は、自らも退室し宮殿内の寝室へと向かった。一人残された総司令の目が怪しく光り、まるでそれは『為すべきことを為す時が来たのだ』と物語っているかのようだった。
翌日の正午ごろに、皇王のもとに訃報が届いた。皇教が武装組織の凶弾に倒れたという、驚くべき一報であった。およそ五十年余りの時を経て、再び時代の大きくうねる音が鳴り響いた。
(続く)
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