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【小説】奇跡 ④

 司令部との交信を終えたハンマドは、苦虫を噛み潰したような表情でウジェルに向き直ると、脇に抱えていたヘルメットを床に叩きつけた。出会ってからまだ1時間ほどしか経っていないが、ハンマドという男は感情をすぐに表に出す人間なのだということを、ウジェルは十分に理解していた。だからウジェルは努めて彼を刺激しないように注意して発言していた。

「司令部はなんと?」

「ひでぇもんだよ、クソッたれが!」
 

 そう吐き捨てるように言うと、ハンマドはリュックの中から水筒を取り出し、喉を鳴らしながら飲んだ。袖で濡れた口元を乱暴に拭う。

「防備が一番手薄だった北西の荷馬車門が突破されたんだとよ!ったく、精鋭部隊が聞いて呆れるぜ。すぐに西門の連中が戦車部隊と迎撃したらしいが、敵の歩兵小隊を取り逃がしやがった。ついては、逃がした歩兵小隊をこの第8バリケードにて殲滅されたし、ってな!」
 

 早口でまくしたて、今度は足でヘルメットを蹴り飛ばした。その様子を眺めていたウジェルは、心の中でヘルメットに謝罪した。
 

 二人が今待機している六階建てのビルの真下には、鉄条網や土嚢、木材などで築き上げられたバリケードがあり、ライフル銃を構えた兵士たちが敵兵の襲来を待ち構えていた。

 激しい迎撃をすり抜けてきた敵兵は、恐らく精鋭中の精鋭、エキスパート部隊であると思われた。彼らは正面から突撃するなどという愚行に走らず、最短ルートを選んで指令室へと繋がるメインストリートへ向かっているのだった。正門の目の前に陣取った第一バリケードから数えて八番目が、ここ第8バリケードである。ここを突破されると、指令部まではもう目と鼻の先なのだ。

「ここで絶対に食い止めろと、そういうことですね」

「ああ。死んでも守れ、なんて抜かしやがった。死んじまったら守れるもんも守れねぇだろうが!」
 

 ハンマドの愚痴が終わる寸前のことだった。右斜め前方の三階建ての建物が唐突に爆破された。いや、直前に着弾音が聞こえたので大砲のような兵器が使用されたのだろうとウジェルは咄嗟に思った。
ハンマドも同じように考えたようだった。

「どこから飛んできたんだ。まったく砲台なんていつの間に持ち込んだんだよ。まさか西門の部隊が全滅したんじゃねぇだろうな」

「違います!あれ!」
 

 ウジェルは大声を上げて、ガラスの取り外された窓から指を差した。ハンマドがその軌道を目で追う。
 

 そこには長く太い筒を肩に乗せ、側面に取り付けられたスコープを覗き込み、バリケードに狙いを定める敵兵の姿があった。初めて見る兵器に、二人の目は釘付けになった。

「なんだあれ。まるで小型の大砲じゃねぇか!あんなもん持ってるなんて聞いてねぇぞ」
 

 小型大砲を構える兵士は、先程の一発の衝撃で横倒しになったバスに隠れて、ちょうどバリケードの兵士たちからは死角の位置にいた。しかし、このビルの一室からならば兵士の頭を狙える。それに気が付いたハンマドは、慌ててライフル銃を構えた。

「ハ、ハンマドさん!」
 

 突然ウジェルが再び叫び、ハンマドの腕を掴んで激しく揺する。

「邪魔すんなよ!おまえ死にてぇのか!」
 

 ハンマドがライフルから顔を離して真横を見ると、そこには目も口もだらしなく開け放ったウジェルの横顔があった。視線は下を向いている。今度は何事かと、再びその軌道を追う。
 

 ハンマドはスローモーションの映画を見させられている錯覚に陥った。視界の右端から、真っ赤なマフラーを首に巻いた少女が、銃を携えて走り出てきたのだ。
 

 やがてバリケードまで辿り着いた少女は、兵士たちに混ざって慣れた動作で銃を構えた。不思議なことに、周囲の兵士は誰も少女に気が付かない。
 

 発砲するために顔を一層銃に近付けて、少女の全身に力が入れられた時だ。バスから砲弾が発射された。白い煙を吐き出しながら、砲弾は一直線にバリケードに向かい、そして炸裂した。
 

 爆風と衝撃波が、二人の兵士のいるビルの中にも吹き荒れた。頭を抱えて蹲る。
 

 どのくらいそうしていただろう。ウジェルが恐る恐る顔を上げ、窓から外の様子を確認した。少し前までバリケードのあった場所は、黒焦げの死体が折り重なる即席の火葬場と化していた。当然のことながら、そこに少女の姿などありはしない。
 

 ウジェルは、自分は少女の幻を見たのだ、と必死に自分に言い聞かせた。しかしそうすればするほど、ウジェルの瞳の中の赤いマフラーは、より一層鮮やかさを増して彼に迫って来るのだった。

(続く)


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蒼海宙人
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