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【小説】奇跡 ⑥

 イビジスダン皇国軍が自国メトンの街にてアラバキエル宗主国軍を迎え撃ち、これを壊滅させた市街戦から五十余年の月日が流れた。
両国の長い争いの歴史から紐解けば、この『メトンの戦い』は極めて小規模な小競り合いだったかもしれない。だが、両国がこの戦いの後に休戦状態に入ったとなれば、その歴史的意義の大きさを感じられよう。
 

 休戦に導いたのは、たった一人の人間だった。それはもはや神の為せる業であった。
 

 そもそもイビジスダンとアラバキエルの戦の火種は、宗教戦争の意味合いが強い。両国は互いに唯一神イビスタリを信仰していた。その聖地の所在を巡って関係が悪化したのだ。互いに自国の首都が聖都であると主張して譲らなかったためだ。イビジスダンは首都イビシャを、アラバキエルは宗都イビスタリ・ハルを、というように。
 

 その争いの最中、件のメトンの戦いにて神の遣いが降臨した。イビスタリが太古に記したとされる『樹海の詩』の中に記述のある、血の涙を流す使者、が現れたのだ。その報せは瞬く間に両国に伝わり、その者が「イビジスダンに幸あれ」と祈りの言葉を仰せになったと尾鰭まで付くと、情勢は一気にイビジスダン側に有利になった。
 

 神の使者が、アラバキエルに和平を持ち掛ければ、それを拒否する者など両国のどこを探してもいなかった。それほどまでに神とその使者は人々に強く信仰されていたのだ。それは盲目的、あるいは狂信的とも言えるほどであった。

 皇歴1999年蒼の月。
 

 神の使者であり、皇教でもあるウジェル・イビスタリ・サハルス1世はメトンの祝祭で説法を行い、その足で首都イビシャへと向かった。平時はイビジスダンの最北端にある皇教庁が住まいなので、首都にて皇王に謁見することは年に数回、儀礼の折のみに限られていた。

『皇王を教え導く』役割が皇教に与えられた使命である。歴代の皇王たちは皆、教えを乞うために自ら皇教庁へと赴いた。だから此度のように皇教自ら首都へ参じることは、例外中の例外であった。
 

 時の皇王エナウタハリ3世は、この日のために誂えた最高級のスーツを着込んで皇教を出迎えた。対する皇教は金色の刺繍が施されたラピスブルーの法衣を身にまとい、頭には神の使者を現す純白の頭巾を被っていた。他の国の者が見れば、九分九厘、この国の王は皇教であろうと思うに違いない。
 

 宮殿の貴賓室でしばし談笑をして、二人は過ごした。非常に和やかに、会談は進行していた。そしてそのようにして万事が粛々と終幕へ向かうと誰もが信じていた。しかし、その予測を覆したのは、皇教であった。
 

 まず皇教は貴賓室から人払いをさせ、皇王と自分の二人きりにさせた。何事かと慌てながらも指示に従う皇王であったが、やがて周囲に誰もいなくなると自らの顔から血の気が引いていくのを感じていた。

「そう恐れることはない。なに、今日は皇王様に私めの秘密をお伝えしようと思いましてな。死期を悟った老いぼれの最期の戯言として聞いて頂きたい」
 

 微笑みをその顔に浮かべながら、皇教は静かに語り始めた。

(続く)

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蒼海宙人
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