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【小説集】

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自作の小説をまとめています。おやすみ前のひと時に読んでもらえたら嬉しいです。
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#創作

【小説】 もうひとりのロストマン

*作者註:この物語は、以下の小説の①から④(終話)を読んだあとに紐解かれることをお勧め致します。  『夢屋書房』店主・渡辺誠一は読んでいた本をパタリと閉じると、左腕の時計に目を落とした。あの青年が店を出てからきっかり三十分。誠一はカウンターから出るとそのまま店の出入り口へと向かい、引き戸を開けた。  顔を外へ出してから、左右を見渡す。  相変わらずの、閑散とした駅前商店街の錆びた色彩が広がるだけ。まだ夕暮れ時には二、三時間はあると言うのに、誠一はいそいそと店じまいを始めた。

【小説】 序曲

   見上げた先にある朱塗りの鳥居を一瞥すると、その前に厳然と立ちはだかっている急勾配の石段へと私は右脚をかけた。  一体何段くらいあるのだろう。登り始めてすぐにそんな疑問が頭の中を掠めたが、小さく首を振ってただ意識を己が両の太腿へ戻した。疑問に思ったところで仕方のないことだ。兎にも角にも、ダラダラと上方へと続くこの石段を自分は登っていかなければならない。誰も私を背中に背負っていってなどくれないのだ。一段、二段と直向きに腿を持ち上げ持ち上げ、私は「愚直」という二字だけを引き

短編小説『選民』

   とにかく、本が読めればなんでも良かった。  時代はかの大戦後、朝鮮半島で勃発した内戦の特需で湧いていた。といっても、その恩恵を受けていたのは一部の産業だけであり、一般市民の懐など一切潤ってなどいなかったのだと、だいぶ長じてから知った。  なんてことはない。私の父はその特需に乗っかって財を成した男であった。故障した米軍の戦闘機の修理。それを大手の航空機メーカーから委託を受け、朝から晩まで、いや朝から翌朝まで二十四時間直して直して、直し続けたのだ。  たったの一年で

【小説】創造主は今宵ダンスを踊る

前回はこちらから 後編・舞曲(メヌエット)② 「おはよう、ウクソル」  博士がミシミシと床を軋ませながら、作業室に入ってきた。そこには彼の妻の充電ポットも置かれていたから、だから彼は入室するなり朝の挨拶を口にした。 「おはよう、クレアーレ。よく眠れたかしら?」  博士は微笑みながらウクソルに向けてウィンクをした。  ウクソルはといえば、頭部の冷却ファンがフル稼働しているにもかかわらず、こめかみあたりに帯びた熱がなかなか冷めてくれないのを忌々しく思っていた。快適な目覚め、と

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【小説】創造主は今宵ダンスを踊る

前回はこちらから 後編・舞曲(メヌエット)①  ウクソルは思考していた。  自身のアイデンティティの確立、その契機となった因子について。もう幾度となく繰り返してきた思考である。なぜ自分がそれにここまでこだわるのか。自らへのその問いかけすらもそこに内包しつつ。  ウクソルはロボットだ。頭部には、人間の目にあたる部分に楕円形のライトが取り付けられ、ウクソルの感情に合わせて色調を帯びて明滅する。喜びを表す時はオレンジ、悲しみはブルー、というように。 それから胴体と腕があり、下

【小説】奇跡 ⑧

 皇教庁の敷地の北端に、歴代の皇教たちを埋葬した霊園があった。小高い丘の頂上から階段状に墓石が立てられ、昼間は太陽の光が大理石から削り出されたその墓石群を美しく輝かせていた。  一人の年老いた男が今、真新しい墓石の前に片膝をつき、祈りを捧げていた。しばらくすると彼は立ち上がり、亡き輩を見下ろしながら語りかけた。 「皇教って奴はよ、まったくもって不自由な人種じゃな。なぁ、ウジェル」  そうしてケラケラと腹を抱えて笑った。突然の人の声に驚いたのだろう、小鳥の群れが一斉に飛び

【小説】奇跡 ⑦

「私の父は軍人で、プライドの高い将校だった。私はそんな父に幼き頃から軍人のあるべき姿を教え込まれ、十二になればもうライフル銃を手にしておったのです。しかし私は銃を撃つのが嫌だった。殺すこと、破壊することだけに使われる道具に触れたくなかったのです」    皇王はこの皇教の昔話が一体どこに向かうのか測りかねていた。それだからこそ、余計な詮索はせずに話を合わせることにした。 「師は軍に入隊した折には衛生兵を志願したのだと、朕は幼少の頃に学んだが、そういう理由であったか」  皇

【小説】奇跡 ⑥

 イビジスダン皇国軍が自国メトンの街にてアラバキエル宗主国軍を迎え撃ち、これを壊滅させた市街戦から五十余年の月日が流れた。 両国の長い争いの歴史から紐解けば、この『メトンの戦い』は極めて小規模な小競り合いだったかもしれない。だが、両国がこの戦いの後に休戦状態に入ったとなれば、その歴史的意義の大きさを感じられよう。    休戦に導いたのは、たった一人の人間だった。それはもはや神の為せる業であった。    そもそもイビジスダンとアラバキエルの戦の火種は、宗教戦争の意味合いが強

【小説】奇跡 ⑤

 ウジェルは色彩を欠いたその残酷な風景の中に、真っ赤なマフラーだけを探した。ここが戦場の只中であり、常に死と隣り合わせなのだという簡単な事実すら忘れてしまうほどに、ただひたすらに。    遮るものが何もない、ガラスも格子も嵌められていない窓際にウジェルは立っていた。 「身を乗り出すな!引っ込め!」    ハンマドがウジェルの腕を掴んで窓から引き離そうとした時だ。後方にハンマドが弾かれたように飛んだ。そしてそのまま床に横たわったまま動かない。ウジェルは瞬時に状況を理解して

【小説】奇跡 ④

 司令部との交信を終えたハンマドは、苦虫を噛み潰したような表情でウジェルに向き直ると、脇に抱えていたヘルメットを床に叩きつけた。出会ってからまだ1時間ほどしか経っていないが、ハンマドという男は感情をすぐに表に出す人間なのだということを、ウジェルは十分に理解していた。だからウジェルは努めて彼を刺激しないように注意して発言していた。 「司令部はなんと?」 「ひでぇもんだよ、クソッたれが!」    そう吐き捨てるように言うと、ハンマドはリュックの中から水筒を取り出し、喉を鳴ら

【小説】奇跡 ②

 マイペースで不器用なウジェルは、いつも失敗ばかりしていた。衛生兵として傷ついた兵士に治療を施す時も、注射針を血管から外れた部位に刺して怒りを買うことなど良くあることで、水を汲んで来いと指示すればタライを井戸に落としてくる。次はどんな失敗をするのかと、周りは嘲笑と侮蔑を込めてわざとウジェルに頼みごとをしたのだった。  流血騒ぎの喧嘩に駆けつけようと勢いよく飛び出したところまでは良かったが、路傍の石ころに幼い子供のようにつまづいてころぶ様は、彼らの格好の餌食となった。  あ

【小説】奇跡 ①

 皇歴1942年暁の月。  アラバキエル宗主国は、隣国イビジスダン皇国との十数年にも及ぶ長い戦争状態に終止符を打つべく、全兵力をイビジスダンの首都イビシャに向けて進攻させた。  不退転の覚悟で街道を突き進むアラバキエル軍に、イビジスダンの兵達は恐れをなして後退を始めた。日に日に戦意を喪失していくイビジスダン兵。そのような前線の戦況を受けたイビジスダン側の大本営は、わずかな兵力を敵地に残してそのほとんどを首都に戻すよう各地の戦線に伝令を派遣した。  皇歴1942年眠りの月