20240830 療養メモ 仕事を休んでいるからこそ考えられること
この2週間、色々と意欲が落ちている。
節制する形を一旦やめたら、体重が4kgも太ってしまった。
睡眠もリズムが崩れている。
ストレスを食っちゃ寝という対処をしてしまったからだろう。
まあ、よくないよね。
そんな中で、ようやくというか読書などする事ができる様になってきた。
それは、先々週の水曜日、リハビリでの集団認知行動療法で、自分が仕事に対して、いやそれだけではなく生きていくことに対して何をエネルギー源にしていたのか?という根源的なところが見えたことで、ダメージがあったことによる落ち込みから、ようやく向き合える様になってきたことにもよる。
業界の専門書や論文集、哲学に関わるものも含めて、手をつけ始めた。
自分の物事を考える時の方向性としては、できるだけ全体像を見渡せる様な情報をあたり、ルーツや変遷について追いかけ、そして今、身近なところでそれがどのようにつながっているのか、どこに位置付けられるのか、どこかに断絶があったのか無かったのか、そんなことをふまえて、何をすれば良いのかを考えていく。
そんなことをいつもしてきた。
それが、ここ数年はできなかった。
目の前のことに追い回される感じ。
だからこそ、今休んでいる時間だからこそ、一休みしている時間があることから、もう一度整理していく事が出来る。
ありがたい時間だと思える様になってきた。
そうすると、これまで自分が取り組んできたことがいっぱいあって、内容としては決しておかしいものではないというのも見えてきた。
これは、自分の仕事に対してかなり否定的に思っていたことに対して、とても大きな反証となる事実でもある。
しかしながら、足りなかったことも見えてきた。
確かに、過去の取り組み方だと、後継者は育たず、取り組んできたことの意図や意味も伝わりにくい、そうなってしまったものが見えてきた。
余りにも、前提が違いすぎたのだ。
前提が違うからこそ、そして意図が伝わらなかったからこそ、反動として大きく逆戻りすることや、拒絶感がとても大きくなったのだ。
なので、やっていることに対しての周りの理解は難しく、そして否定的に捉えられがちになったし、自分も負荷が大きくなったり、不満が大きくなることへと繋がった。
1人の力でできることなど知れているからこそ、自分に否定的になり、無力感に苛まれ、自責が強くなってしまった。
大きなストレスをなんとかすることは、できなかったのだ。
その辺のことに気付けたのは、ある意味では悪い落ち込みではなかったとも受け止めることができる。
空っぽな人間ではなかったのだ。
そう思える、自分を認められる、そんな適応的思考ができている。
過去に対しての清算ができそうな感じもする。
では、これからの時間は、自分が今後どう生きていくかということに集中しても良いのかな?と思える様になってきた。
大きなストレスを受けた時、一回一回長期の休みを取るなんていう方法はやっぱり避けた方が良いだろう。
ならば、優先順位はまず健康的な身体を手に入れること。
筋力が高くなると、落ち込みも小さくなる。
だから、筋トレは必須。
ダイエットもいる。
腸内環境を整えることも、落ち込みがなくなりやすい。
ホント、基本的なコトを取り組むしかないというところに行き着く。
ダメダメな怠惰な生活を2週間過ごしたことのイナーシャを打ち消すには、相当のエネルギーぎ必要だけど、なんとか打破しないと進まない。
理論を実践に移す段階。
頑張るしかない。
色んなことを冷静に、前向きに捉えられるようになってきたのは、嬉しいかぎりでもある。
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