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ああ、無知って怖いなぁ
最近、ある人の勧めで古典を読むようになった。
読み始めると、自分の無知さ加減がホントに嫌になってくる。
本を読めば、色々と見えてくるものがあったり、判断するときの大きな指針となる。なぜならば、古典と言われる本というのは、それだけ世界で必要とされるものであるから。
食わず嫌いは、損をする。
まさにそんな感じ。
本を読んで、知っていると知らないでは大きな違いがある。
そして、まだまだ自分に走らないことがたくさんある事を知る。
それこそ、ソクラテスの「無知の知」だ。
古典を読めば読むほど、謙虚にならざるを得ない。
たくさん読まないと、そして出会わないと、社会を分析したりより良い方向性を考えることが出来る様にはなれないような気がする。
今日は、安倍総理が辞任を発表した日でもある。
ということは、権力者の入れ替わりが起こる。
経済においては、辞任のニュースが出た瞬間に株価が下がり始め、為替は円高へと大きく流れが変わった。
日本という社会が混沌とした中に存在しているのは間違いない。ましてや、発展途上というよりも衰退の道を進んでいるように見える。これを困難ととるかチャンスととるかは今後次第ではあるけれど、そうそう良い方向へと向かいそうな感じではない。なぜなら、シモーヌ・ヴェイユの「自由と社会的抑圧」の中に出てくるように「不幸にして万人が共有する無知ゆえ」という言葉がぴったりと感じるからだ。「より少ない悪」を選択することは出来るであろうが、それが本当に良い方向なのかどうかは無知故わかるわけがない。
それゆえ、謙虚に熟慮を図るべく「知」を持つ事が大切なのだろう。ただし、世間という大きな流れの中に生きる一人でもある。その流れに一人抗うなどという事は難しいだろう。
そうなればなるほど、知ある人との探求的な思考というのが大切なのだろうと思う。
しかし、私にはまだない。
だから、生きながらも本を読んでいくしかないのである。
しかも古典を。