はじめての古典小説
サン=テグジュペリの『夜間飛行』を読んだ。
古典の中でも小説を読んだのは『夜間飛行』が初めて。読んだ理由はタイトルがかっこいいから。ヘミングウェイの『老人と海』もかっこいい。今度読んでみようと思っている。
タイトルの夜間飛行はそのままで、夜に飛ぶことを意味している。この時代は夜間飛行をすることに批判的であり、一般的ではなかった。航空輸送業者にとって、昼間の輸送は鉄道や船に遅れを取らないが、夜になると別で勝てない。むしろ、夜に運べないことがディスアドバンテージになっている。だから、夜も運べるようにしたい。それが『夜間飛行』。夜間飛行の黎明期の物語。
話が分かりづらかった。読み終えてから、序文・解説を読んで理解したことも多い。それだけ見落としもあった。普段どれだけ読みやすい文章を読んできたことと、やはり自分は読解力がないのだと思い知らされる。古典を読んでいると、昔の嫌いな国語の授業を思い出すこともあり、少し嫌な気分でもあった。
現に、パイロットのファビアンは死ぬのだが、正直明確な死亡描写がない。それとなく示されているだけで、読み終わっても「あれ?死んだの?」とモヤモヤ感が残った。解説を読んでから、本文に戻ると、「『一時四○分だ。燃料がつきた。もう飛んでいるはずはない』」(p122)、「リヴィエールは社長室で、大惨事だけがもたらす弛緩を味わっていた。破滅の運命が人間を解放したときの感覚だった。」(p123)と、暗に生きているはずがないことと、事が終わってどこか緊張が切れている社長のリヴィエールの描写が書かれている。
またこの前章では、機体が使用不能機材に分類されていることが示されている。この部分は初見読みで気づいたが「まだ死んだのか分からないのでは?」と疑問を覚えながら読んでいた。なので、燃料が切れている描写に気づいたとしても、どこかに不時着して生き残った可能性を探っていただろう。
そもそもこのフライト自体、行われるべきものではなかった。天候が悪く、通信もつながらない。死亡した理由の1つに通信がつながらないことも挙げているが、通信がつながる環境でなかったことも踏まえると、やはり生死不明がいいところなんじゃないかと思う。
さらに解説には、私の読みづらさを感じた理由に納得できることもある。文章を極限まで削り、描写の時系列を入れ換えたことが書かれている。人物の描写が変わっただけと思い込んで、時系列は気にせずに読んでいた。
「古典はなぜ読み継がれるのか」そんなことを感じる一冊でもあった。本文はわずか130ページしかないのに、名言と呼べるものがいくつもあった。
今のご時世、たとえ何かを自分で選んだとしたとしても、後悔する人が多い。このときのアドバイスとして、「選んだ道を正解にする」ということが挙げられる。時代背景を考えれば、目に見えて選べる選択肢が少なく、どれを選んだとしてもさほど変わらない人生を送るために後悔しないのか。それとも、ifな人生を覗くことができないから後悔しないのかは分からない。
その点、現在は選択肢も多く、選択によって人生が変わり、SNSによって「もしかしたら」の人生を見ることができるから後悔するのかもしれない。
追い込みの先に未来が見えないから、追い込まれたくない。今の世の中ってそうなのかもと思う。追い込まれても何も変わらないのなら、楽したい。そうなんじゃないだろうか。未来があるからこそ、追い込まれたときの辛さを受け入れられる。
アイヒマンを思い出した。ナチスに、組織に従って私は実行しただけだ。私は悪くない。私の代わりにやる人はいくらでもいる。組織は裁けない。結局は「誰がやったか?」。命令した人ではなく、「誰がやったのか?」。実行犯ばかりが目につく。世の中の詐欺もそうだろう。受け子や実行犯に注目が浴び、「まだ若いのに…」「なんで...」と議論を呼ぶ。
どこかで聞いたことのありそうなセリフ。発言しているのは、社長のリヴィエール。経営者目線だからこその言葉なんじゃないだろうか。
これもリヴィエールのセリフ。監督者のロビノーがあれこれ提案をすることへの返し。とりあえずやっていれば、なんとかなる。そう読み取れるセリフ。大切なんだけど、リヴィエールが話していることもあって、ビジネス的な意味合いを強く感じる。
ストンとどこか腑に落ちた言葉。すくなからず、見えている範囲までは道が続いていることに安堵し、このまま突き進んでも良さそうなものがバタンと突然真っ暗になるイメージ。進みながら「どうやら行き止まりになりそう」と少しずつ分かるのではない。恒常性を求めることに反しているからなのだろうか。
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以上です。初めての古典だったので、読んで終わりではなく、せっかくだったら何か書き残して、思い出になればいいな、と思って書きました。本来の読書感想文って、自分になにかしらワクワクするような理由をつけて書くものなのに、覚えられないからって義務感で書いてるのはどうなんだろうか。とも思う…。
解説を読んで気づいたことですが、サン=テグジュペリと言えば、『星の王子さま』ですが、これって意訳で本来は『ちいさな王子』が正しい翻訳なようです。解説にはあれだけ有名な『星の王子さま』が書かれておらず、似たタイトルの『ちいさな王子』しか書かれていないことにひっかかりました。検索して『星の王子さま』と『ちいさな王子』が同じことを知りました。
またサン=テグジュペリは、貴族でありながらも航空パイロットであり、第二次世界大戦中の飛行中に亡くなってくる。そんな人物像についても知りました。古典の解説はとてもありがたい。
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