動かない心と若草物語と秒針

スルメをかみしめるように
同じ映画を何度も何度も
繰り返し見ることが好きだ
だけれども過食するように大量の映画をむさぼり見ている
なにに飢えているのだろう
物語か
感動か
心動かすものに巡りあうまで
繰り返すのか

心はもう動かない

大晦日に掃除をしよう、ゴミをだそう、シャワーを浴びよう
そう思って
実際にできたのは明けて二日のことで
掃除もできた、ゴミもだせた、シャワーも浴びられた
肉じゃがも作ったし、ご飯も炊いた
そのスイッチが入るまでに
時計の秒針は何回刻まれたか
私の心にも何かが刻まれる
決断を置き去りにしつづけた罪悪感と
動けない自分への侮蔑が
刻まれる 刻まれる 刻まれる
動き出した途端に傷は癒え、
そしてまた動けなくなる
その繰り返し 繰り返し

シアーシャ・ローナンの若草物語を見た
ラブリー・ボーンで死んでしまったあの女の子の
生きられなかった未来を見るような気持ちになって
自分に言い聞かせる
「女優が同じなだけなんだ」
「これは別の物語だ」と
「あの可哀想な、惨殺され骨すら永遠に見つけてもらえない
女の子の亡霊ではない」と。
マーチ家での娘時代の出来事は走馬灯のように流れる
この映画は時系列に物事を進めるようにはできていない
全てはジョーが都会にでたときから始まる
回想と現実がより合わせた糸のように進む
さらさらと流れる娘時代のシーンを見ながら
ウィノナ・ライダー版の若草物語に思いをはせる
あの頃、私の心は動いていた
あの頃、私の心はあの映画に動かされていた
ベスの死すらもさらさらと流れる
これが回想だから
きっと思い出すのは辛いから
その瞬間のことを思い出すのは辛いから
さらさらと、さらさらと、
不在は不在でもってただ語られる
不在は音のない嗚咽のシーンで説明される

よくわからない自分にかかっている呪いについて
考えてもよくわからないから
分析したところで意味もないから
もう考えるのをやめて
たださらさらと時が流れるのを見ている
時間薬が解決するかもしれない
時間薬が溶かしてくれるかもしれない
それは溶けてもいいものなの?

あまり動かなくなった心が
答えを待っているけれど
本当に決定的な答えの箱をあけてしまったら
すべてが消えてしまうから
それならば時間薬にと
ジュリエットの仮死の薬によく似た味だと
思いながら
頼るべき相手がいるのに
それにはすがらずに
たださらさらと全てが流れていくのを
待っている

(補足)

「全てはジョーが都会にでたときから始まる」
と書いてしまったが正確には
「NYに上京したジョーが週刊ボルケーノ編集部に原稿を持ち込みする」
ところから始まる。

本作は従来の若草物語の映像化と違って、
少女の成長記というよりかは
女性の自己実現・自立が軸(テーマ)にある映画だと思うので
ふさわしい幕開けだと思った。

映画の描写に誤解を生みそうな書き方をしてしまったので補足しました。

2021年1月4日 


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