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丸谷才一 和田誠『女の小説』

『みみづくの夢』、『好きな背広』、『木星とシャーベット』、『桜もさよならも日本語』など、丸谷才一の評論やエッセイ集のタイトルは洒落たものが多いのですが、それらに比べればこの『女の小説』はずいぶんぶっきらぼうに見えます。しかしご安心あれ。ページを開けば、丸谷ならではの文章が他の著作と同様に楽しめる内容になっています。しかも和田誠のイラストが一つの章につき2つ、フルカラーでついているのですからたまりません。

本書は、タイトル通り女性の作家によって書かれた小説を取り上げて論じたもの。1つの章で1人の作家と作品が取り上げられていて全18章。それぞれの章のボリュームは10〜15ページですが、これは和田誠のイラスト2点込みのページ数なので、かなりコンパクトな内容です。とはいっても、そこは丸谷才一。幅広い視野とユニークな着眼点、実作者ならではの技術論がふんだんに盛り込まれており、例え取り上げられた小説を読んだことがなくても興味深く読むことができます。

取り上げられているのは紫式部『源氏物語』を最初と最後に置き、その間にアゴタ・クリストフ『悪童日記』、宇野千代『色ざんげ』、パトリシア・ハイスミス『太陽がいっぱい』、メアリ・シェリー『フランケンシュタイン』、イザベル・アジャンデ『精霊たちの家』など国や時代、ジャンルもさまざまな〈女の小説〉が論じられています。

『源氏物語』が2度取り上げられているのは、もちろんそれだけの質の高さと量あってのゆえでしょうが、他の小説を論じている章にもしばしば登場しており、本書を通して流れる通奏低音のような役割を果たしています。もちろん単純に比較して丸バツをつけるような芸のない文章を丸谷が書くはずはありません。

例えばフランスの作家、コレット『牝猫』を取り上げた「ムゥルーインと鳴く獣」の章は、まずジョイス『ユリシーズ』に出てくる猫が「ムクニャオ!」「ムルクニャオ!」などと鳴くということから始まるのですが、『牝猫』に出てくるサアという猫は「ムゥルーイン」や「ルールーィン」などと鳴くと続きます。そこから谷崎潤一郎『猫と庄造と二人のをんな』の猫、リリィは普通に「ニヤア」と鳴くことに触れた後、谷崎といえば『源氏物語』ということで、『源氏物語』の猫の鳴き声は「ねうねう」であることを紹介し、〈『源氏物語』の翻訳者である谷崎は、もちろんこの「ねうねう」を知っているわけだが、それに対する批判として、わざと「ニヤア」という平凡な鳴き声を選んだのか。小説の読者には、かういうおもしろがり方もある。〉と述べるのです。

猫の鳴き声、という細部の描写を通して読書の達人から小説の楽しみ方を伝授してもらっているのですから、一読者としてはありがたいのですが、10ページほどのボリュームの中でこんなに猫の鳴き声の比較ばかりして大丈夫なのかと余計な心配をしてしまいます。ところが本論はここから『牝猫』の神話的性格について論じ、コレットの生涯を変形譚に例えで論じ、とあれよあれよと手際よく話が進み、最後は人類学者レヴィ=ストロースの言葉で締めくくられるのです。誠に鮮やかな芸の冴え!

本書のどの一編をとってもこうした調子で、取り上げた小説の読みどころが、小説はもちろん、神話や童話なども含めた広い文学史の中に位置づけられ、なぜ素晴らしいものとなっているのかが的確な引用と具体的な技術論によって語られているのです。いわれてみれば、なんで今まで気づかなかったのだろうと思う指摘にもこと欠きません。優れた批評とはこういうものなのだ、と改めて実感しました。

小説はどう読んでどう感じようと個人の自由。それは確かにそうなのですが、だからといって他人の批評なぞ読んでもしかたない、としてしまったらもったいない話。達人の批評は読者に優れた望遠鏡や顕微鏡を与えて、遠くに霞む風景を示してくれたり、細部に潜んでいたものをくっきりと拡大して見せてくれるのです。丸谷才一の批評はこうした〈批評を読む楽しみ〉をいつも読者に与えてくれる、本好きにとってかけがえのないものといえるでしょう。

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