SOLARIS の ように
タルコフスキーの映画「SOLARIS」を観たのは、もう50年近くも前になるのでしょうか。
遠い宇宙の彼方にある惑星、SOLARIS に探索に行くお話はSFではあるのですが、詩的な美しさに溢れていて魅了されました。
さすが、タルコフスキー! なのでしょう。
原作も読んでみました。
スタニスワフ・レム という聞き慣れない著者のお名前も印象的で、翻訳書でなければ到底読めそうにもない言語みたいです。
映画制作中に、原作者と映画監督は意見が決定的に食い違って、物別れになったという逸話も伝わって、何がそんなに大ごとなのかと気になりました。
いろいろ面白い点はあるのですが、何よりも関心を掻き立てられたのは、登場人物が無意識に抑圧しているテーマを、否応なく現出させるSOLARIS 独特のコミュニケーションでした。
エゴにとっては最も困った相手ですが、瞑想をして己のエゴと対峙するのに苦労している我が身としては、頼りになる相手にも思えます。怖いですけど。
傍に居るだけで、無意識が抱えるテーマと向き合う事になるとしたら、究極の友人のように思えました。
ただし、お話しに出てくるSOLARIS のコミュニケーション方法は、相手の了解なしに始まり、容赦がないので、そこはもっと優しい方がありがたいなとは思います。
30代にサイキックな体験に遭遇して、驚いたり、舞い上がったり、落ち込んだり、いろいろありましたが、友人のアドバイスに従って瞑想を習いました。
それからまた、いろいろあって、老年と言われる今となってみると、ずいぶん回り道をしてきた気がします。
始めのうちは、瞑想とか悟りを目指すとか、そもそも何のことやらという気持ちで訳がわからなかったし、やっている事の意味や位置付けの説明がなくて困りました。
意識体験は種類がたくさんあるにしても、相互の関連やマッピング情報が初心者に見当たらないのは不親切ですし、修養方法との対応関係も各派の主張がまちまちで、フラットに見渡すのは至難の業です。
さまざまなメソッドを試して周囲を見渡し、どうやら、ようやく腑に落ちた気がして、落ち着いたかと思えば、ずいぶんと歳を取ってしまいました。
これは私の要領の悪さによるのか、筋の悪さなのか?
周りを見回せば同じ迷いを抱えた人が沢山いるように見えて、何か書き残せば次の世代のお役に立つのでしょうか。
少しでもお役に立てる事を願って、書き進めてみようかと思います。
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