#8 美術のある社会作り エリック・ホッファーを起点に考え
言葉を持たない人間社会が存在しないのと同じように、美術のない人間社会もない。
エリック・ホッファー「波止場日記」の一文である。
そして、その後の文面で、美術は、文字や道具よりも先行し存在したとも
語っている。
哲学は美術と遠い存在に想っていたが、社会哲学者エリックの著書を読んでいると、近く感じる時がある。
そして、その延長線上にも感じる時がある。
私の生業はデザイン業である。
仕事をしていると時々思うのは、
フィロソフィーの大切さだ。
デザインと言う仕事は、絵が綺麗とか上手い(この場合描写力)とかを言ったりする事が多い。
特に日本人は、写実的な絵を好む様に思える。
もちろん、絵の巧さは大切であり、そこに心を動かされる事がある。
ただ、そこに落とし穴がある様な気がする。
コンセプトが不在であったり、ブランドコンセプトを構築せず、売りに出している物が多く感じてしまう。
特にデザイナーが、絵の巧さで評価される場合、中身(コンセプト)は、何処かで拝借し、形をちょっとだけ変えた物が生まれ売られるケースが、まだまだ多く存在すると思う事がある。
そうした際、哲学が不在なのだと思う。
哲学と言っても、それほど難しいものを言うわけでは無く、シンプルな事だ。
なぜそれは存在するのか、何のためか。
それを語れずして、形や色を語る事は難しいと思う。
エリックの書籍を読んでいると昨今の事から時間を超越し、文明が生まれた頃の事を想像してしまう。
象形文字にも意味があり、土器や鏡なども装飾が綺麗に刻まれていたりするが、それにも意味があったに違いない。
時間の効率化が求められ、益々結果だけに注目されがちな社会になってきた。
そんな中で、短期的な利益で無く、長期的な視野に立ち作り出すモノの必要性や環境への配慮、
そして社会的な影響も考えたフィロソフィーの必要性を強く感じる。
そんなモノで囲まれた社会が、エリックの言う
美術のある社会ではなかろうか。