スナックSUO(スオ)のママ

生きていると、いろいろなことがありますね。 家族をはじめ、人との関わりを残しておこうと思って書き始めました。 スナックのママになりたいけれど、夜は弱いのでnoteでスナック開店。 noteは初心者でございます。どうぞよろしくお願いいたします。

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開店 ~書くと心が整う~ 

生きているといろいろなことがありますね。 楽しいこともあるのに、 つらいことにフォーカスしがちです。 結婚するときに牧師さんが言ってくれるアレです。 「病めるときも、健やかなるときも~」 人生とはなんだか「病めるとき」ばかりのような気がしてしまいます。 絶望とか悔しさとか衝撃とか。 人生の折り返し地点は過ぎたので、 負に陥ってしまいそうな感情は ひととおり知ったように思います。 それでも、 「本当に苦しいことは、誰にも言えない」のではないでしょうか。 私の場合は自分

    • ありのままの自分でいこう

      大学院の同級生に、 ちょっとむさい男がいた。 体育系の大学院で 同級生にはオリンピック選手もいたけど 男は地味に目立っていた。 背は高くないし、ちょっとぽっちゃり。 いつもジャージで、 ちゃんと髭をそらない感じが なんだかいけてない。 おまけに無口だから いろいろな意味で損した男だった。 その男は私の研究室によく来て 話もしないのに、居座っていた。 ほどなくすると、男の1Kの家で みんなが集まるようになった。 彼女いない歴25年。 調理をしない男のキッチンのシンクは

      • 選択の余地なく世田谷に住んでみたら

        窓を開けると 竹の葉がカサカサとこすり合う音と、 多摩川を渡る東急田園都市線の ガタンゴトンガタンゴトンという音が 聞こえる。 黒いミュールに グリーンのふんわりワンピースを 着ている女性や パナマハットにハーフパンツ、 裸足にデッキシューズで歩く男性。 どこを見てもファッション誌に 出てきそうな方たちが 背筋を伸ばして歩いている街だ。 * 夫は都内に勤めているのに、 自宅は都心から遠く、 最寄り駅にも歩けない。 これから私たちは老いてくる。 車がなくても暮らせる便

        • 人の想いを受け継いで愛し合うこと

          今年の春、友人が突然、 3haくらいある農場の代表になった。 大きなトチノキが目印の そこにだけ人が吸い込まれていく 異なる空間。 タンジョウファームは、 牧場やレストランもあって 食事に来る人だけでなく、 体験農業に来る人、草取りに来る人、 来る人たちが笑顔で帰っていく場所になっている。 * 初めは25年以上前に農場長と友人が PTA活動で出会ったことが始まり。 かねてから農業に興味のあった友人は 野菜作りや牛の世話を手伝った。 牛たちの堆肥を活用した タンジョ

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          彼女が生きた証を遺すために始めたこと

          幼い頃から夢はなかった。 中学の担任から 「お前は体育の教員になれ」と言われて 私は体育の教員になった。 教育実習のときに 「私には向いていないんじゃないかな」とは うすうす感じていた。 仕事は息を吸うように 歯を磨くように自然にできなければ ストレスになるとわかっていた。 夫と結婚するとき、 互いの住まいが遠かったから 私が仕事を辞めることになり 少しホッとした。 * 出産してからは、子育てに必死で 「仕事をしなければならない」という はっきりした気持ちには至っ

          彼女が生きた証を遺すために始めたこと

          「ピンチはチャンス」をホンモノに

          20年くらい前。 「業界の常識。一般人のエッセイは需要がない」と 編集者の友達に言われて以来、 私は長い間、心の蓋を閉じてきた。 それなのにエッセイを思い出したのは、 母に神経発達症(発達障がい)があると気づき、 殴られたような衝撃を受けたから。 「なんで気がつかなかったんだ」 私は神経発達症の方と仕事をしてきた経験がある。 それなのに、まったく気がつかなかった。 ***** 幼いころから 母の言動に傷つき、苦しんでいた。 思春期は 「この人を怒らせないようにす

          「ピンチはチャンス」をホンモノに

          ひとりの同志

          投資のことでお世話になっている インフルエンサーさんが 子育てにお疲れのようだった。 たまたまDMをする機会があり、 ワンオペ育児をするインフルエンサーさんの苦悩が垣間見えた。 美容師の娘は独身だけど、 子育て中のお客様やスタッフさんと 子育ての話になるらしく、 みんな子育てが大変そう、とよく言う。 いつの時代も子育て中は、 しんどいことがたくさんある。 私は娘たちが成人を越え ひと段落したけれど、 忙しかったときのことは、 いつでも思い出すことができる。 娘たちの

          三日坊主

          私はいま、50代。 もし家を売って、 大きなお金が手元に入らなかったら、 老後にいくら必要だとか、 この先もそんなことは考えなかったと思う。 私たち夫婦はお金について本当にザルで、 定年まであと10年なのに、 まったく貯蓄のできていない人生だった。 お金について考えだしたのは、 恥ずかしながら、 新NISAが始まったからじゃない。 たまたま家を売ったから。 そして昭和の人間だから? 普通預金に大きなお金が入っていることが 良くないと考えて、 そのお金をどうにかしないと

          属さない暮らし

          わたしのことを誰も知らない街で暮らしている。 夫は毎日、赤羽まで出勤する。 わたしは在宅ワーカーだから、 夫と犬以外、話す人がいない。 そんな暮らしが年明けから始まった。 *********** 引っ越したとき、「賃貸なら近所に挨拶しない」と 不動産屋さんから聞いて、 挨拶はしなかったけれど、 隣の人は偶然、外出するときに会っても 目を合わせようとしない。 近所づき合いのない生活を送っている。 千葉では真逆の生活だった。 朝からごみ捨てに行けば近所の人と話をし、

          神様のお導き

          私たち夫婦は都心から離れた千葉の自宅を売り、 東京に引っ越そうとしていた。 都内で家を購入したかったのだが、 先に自宅が売れてしまい、引き渡し期限が迫っていたので ひとまず住める賃貸を探さなくてはならなかった。 希望は夫婦2人+老犬(中型犬)が住める2LDK程度で 家賃は20万円以内。 中型犬と住める賃貸はあまり多くなく 選択肢としての物件は2つあった。 初めに内覧に行った学芸大学駅から徒歩14分のマンションは まだリフォーム中で、西向きだったから少し暗い感じがした。

          パン屋さんとクッキー屋さん

          東京で暮らすのに 心のよりどころとしている場所がある。 パン屋さんとクッキー屋さんだ。 千葉に住んでいるときには なじみのパン屋さんがあった。 そのパン屋さんには 表面が卵液でピカっと光るスコーンが 曜日限定で焼かれていた。 レーズンやクランベリーが入っている ふっくらしたスコーン。 私は店の奥様には、それを大人買いする 「スコーンのおばさん」だと認識されていた。 クッキーは趣味と言って良いかわからないけど、 遠くてもわざわざあちこち 買いに行く。 クッキーの味

          パン屋さんとクッキー屋さん

          自立と恩返し

          去年の冬、雪かきをしながら 夫が「この家は大きすぎる」と言い出した。 わたしの家は敷地75坪、公園前に立地する 4SLDKの一戸建てだ。 家の大きな窓から見える木々は 四季を知らせてくれるが それを鑑賞するには日々の落ち葉掃除や 広範囲の雪かきがもれなくついてくる。 自宅には芝生の庭もあるので、 「家にかける労力が多すぎる」と 夫は老後を見据え始めた。 ここには家族4人で20年ほど住んだが 娘2人は社会人になって都心に移り住み この家には、もうわたしたち夫婦と老犬しか

          わたしを生きる

          今年の初め、わたしには「母」「娘」「妻」の役割があった。 薬学部生の長女は4年生のときに、 必須科目を1点不足で落とし、留年の危機を迎え、 「死にたい」というくらい大学の勉強に苦しめられた。 わたしはそれ以来、母としての役割を強化して寄り添うようにしていた。 実母に対しても4年前に父が亡くなってから、 実母の要求に応えるために、 娘としての役割を増やしていた。 妻としての役割は一番簡素で申し訳ないけれど、 毎日お弁当を作る程度だ。 ********** 留年の危機に

          私は怒っている

          9月1日が過ぎると防災に意識が働きます。 もう本当に恥ずかしいことなのですが、 私は福田村事件のことを知りませんでした。 夫は戦争や歴史に関心があって、 ひとりで沖縄へ慰霊の旅に出たり、 戦争に関する映画を見たりするのですが 私はどうしても直視できず、 知ろうとしていませんでした。 福田村事件のことを尋ねてみれば、 やっぱり夫は知っていました。 私が「見たくない」「知りたくない」のは、 「怖いから」なのですが、 いい大人が…… 知っていなくてはいけないことってありますよ

          自分に恥ずかしくない生き方

          新聞を読む理由 私が新聞を読むのは、 女手ひとつで育ててくれた母の影響が多分にあります。 母は新聞のお料理の記事や 人生相談コーナーの回答なんかを切り取って、 冷蔵庫にペタペタ、貼り付けていた人でした。 私が結婚した30年近く前は 新聞を契約するのが当然のような感じだったと思います。 社会人として必要、みたいな? 私はアンデシュ・ハンセン先生が紙で学ぶ良さを説いているのと 老眼でスマホの画面がなんとなく疲れるのもあって、 いまだに新聞は、紙派です。 これまでの私の生

          自分に恥ずかしくない生き方

          不動産日記 vol.5

          私が50歳を過ぎて住み慣れた家から転居しようと思った理由には、 ・家にかける労力がこれからは衰えてくる ・子どもたちに迷惑をかけたくない ・母が妹と同居することになって私の手が必要なくなった その他に…… 理由としての順位は高くありませんでしたが 実父の存在がありました。 実父は東京近郊に住んでおり、 ちょうど私が転居しようと考え始めた前後に 私を自分の緊急連絡先にしてもらえないか、と打診がありました。 実父は母や私たち姉妹のもとを去って、 新しい家族を迎えた人。 二