見出し画像

「ピンチはチャンス」をホンモノに

20年くらい前。

「業界の常識。一般人のエッセイは需要がない」と
編集者の友達に言われて以来、
私は長い間、心の蓋を閉じてきた。

それなのにエッセイを思い出したのは、
母に神経発達症(発達障がい)があると気づき、
殴られたような衝撃を受けたから。

「なんで気がつかなかったんだ」

私は神経発達症の方と仕事をしてきた経験がある。
それなのに、まったく気がつかなかった。

*****

幼いころから
母の言動に傷つき、苦しんでいた。

思春期は
「この人を怒らせないようにするには
どうしたら良いだろう」

と常に考えていた。

成人してからは
物事の道理を母に口うるさく言っていた。

でも「母に神経発達症がある」と気がついてからは
母の言動を受け入れることができたし、
逆に優しくもなれた。

ただそれに気がついたのは
もう50歳を過ぎた頃。


「早く知りたかった」


もっと早く気がついていたら、
母とのコミュニケーションが
スムーズだったのに、と思う。

気づけなかったことに
申し訳なさを感じて、
苦しくもなった。

書くことで心が落ち着いた。


*****

私は学会にも症例がないという不整脈を発症し、
40歳で教員の仕事を退職。

時間が空いたなら、と
知人の紹介で地域のフリーペーパーに
健康コラムを書く仕事をいただいたのが
「書く」ことの始まり。

娘たちはまだまだ育ちざかりで
お金は必要だったし、
何より働いて社会とつながっていたかった。


紙媒体で記事を書くことのノウハウを
教えてもらえるのは、楽しかった。


5年くらい紙媒体で書かせてもらったが、
コンスタントに収入が得られるベンチャーに転職して、
Webで美容や介護の記事を8年くらい書いた。

小さなベンチャーだったけれど、
若いディレクターと一緒にSEOライティングを
必死に勉強した。

コーダーが楽なように、
簡単なHTMLのタグをつけた記事を
毎日何本も書いた。

でも、いつの間にか娘たちは社会人となり
家を出て行った。


それと引き換えるかのように
Webサイトの成績は、コロナ渦で世の中が落ち着くと、
転がり落ちるように傾き始めた。

経営悪化に不安を覚えた若い社員たちは
次々と退職。
最後はパートのコーダーと私だけになった。

なんとなく辞めなくてはいけない雰囲気だった。
誰も引き留められず、
社長が会社をたたみたい感じが受け取れた。


*****


そんなこともあって、ハローワークに載っていた
東京の下町にある小さなWeb制作会社に転職した。

娘たちも巣立ったし、良いタイミングだったと思う。
社会保険料を払って、
もっと前よりたくさん働こう、とも思っていた。

面接をしてくれた社長は愛想が良かった。
履歴書やポートフォリオを見て、
「あなたにテストライティングは、必要ないですね」と
言ってくれた。

ただし、その会社のHPを見た友達からは
「欠員募集の履歴が多すぎるから気をつけて」と言われて、
良いことばかりじゃないかも、と警戒はしていた。

すごく自由な会社だった。

slackで出退勤を報告する。
何時に働いても良い会社だった。

一緒に働く仲間には、
神経発達症をもつお子さんを育てている主婦や
副業として働くライターなんかがいた。

記事を書いて、画像をつけて納品する。

よくあるパターンだと思うけれど、
その画像の貼り方が違法だった。

ちょっとそれはできないな、と思って
私は一緒に入社したライターと相談し、
その手法は、受け入れなかった。

試用期間中、社長から
「試用期間終了後、雇用契約を結ばない」とslack。
私は解雇された。


試用期間中、記事は一本書いた。


ウェディングの記事で、
チェックはウェディングプランナーとして
働いた経験のある社員だった。

いろいろフィードバックされて、
言われた通り書き直した。

大学院時代から原稿に朱が入ることには
慣れている。

Googleドキュメントで修正箇所がわかるように
直したので、
すごく修正したのが皆にわかる。

社長はあなたの能力がわかりました、と言った。

*****

以前働いていた会社の方針をそのまま使ったり、
自分のやり方を出すのはよくない、と思ったから
様子を見ながら書いたのがいけなかったかな。

人としてのコミュニケーションをきちんととって、
ライティング以外の業務もたくさんあったけど、
言われた通り、やっていたから、
「私がクビなんだ!」と、正直びっくりした。

LINEで「見る」と入れると予測変換に出てくる
お目々みたいな目になっていたと思う。

「解雇」なんて初めてだ!


一緒に入った仲間が慌てている。

「クビになるなら私だと思ったのに」

と言っていた。


解雇なんて人生の中で、
そう何回もないよねぇ……

またどこかで仕事をしなくちゃ。
転職活動しなくちゃ。

でも、ハッと気がついた。

「これが私のやりたかったこと?」


Webライターの仕事は
クライアントの要望に沿って書き、
PVやCVを上げることが求められる、
いわば営業マンのようなもの。

自分の意見を書くことはない。

ディレクターがプロットを指示してくれることもあって、
書きやすさはあるかもしれないけど、
自分のことは、
いつもサラリーマンだな、と思っていた。

某新聞社の読者欄に投稿して
採用されたときも
属性は「主婦」で掲載したいと言われ、
「ライターじゃなきゃ嫌だ」とか言えるほど、
自信のある書き手じゃないから、
言われた通りに従った。

マスメディアには、読み手を操作する策がある。


その一端を担うライターの仕事がやりたいことなのか、と考えたら違った。

**************

課題にぶち当たったとき、
ちょっと気がつけば、
答えは意外に簡単だったりする。

答えを知る方法はたくさんある。

・本
・新聞
・テレビ
・ラジオ
・SNS
・Webメディア

年代によって、
情報を取り入れる媒体は異なると思うけれど
たくさんの媒体が登場して、
私たちも情報を得やすくなった。


もっと自由でいいんだ!


いま私がエッセイを書くのは
これまで触れないようにしてきた心の中のことを
こじ開けて大切に取り出す感覚。


解雇されたときはびっくりしたけど、
今は言いたい。

「解雇してくれてありがとう!」



ヒナは巣立った。

あとは自分の食い扶持を
自分の書きたいことで稼ぐだけだ。





いいなと思ったら応援しよう!