属さない暮らし
わたしのことを誰も知らない街で暮らしている。
夫は毎日、赤羽まで出勤する。
わたしは在宅ワーカーだから、
夫と犬以外、話す人がいない。
そんな暮らしが年明けから始まった。
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引っ越したとき、「賃貸なら近所に挨拶しない」と
不動産屋さんから聞いて、
挨拶はしなかったけれど、
隣の人は偶然、外出するときに会っても
目を合わせようとしない。
近所づき合いのない生活を送っている。
千葉では真逆の生活だった。
朝からごみ捨てに行けば近所の人と話をし、
ごみ捨てに行っただけなのに、
何十分も家に戻れなかった。
買い物に行けば
どこへ行っても知り合いに出くわす生活だった。
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千葉には好きだったいろんなものを置いてきた。
家はもちろん庭の植物、車、母、妹、友達、
お気に入りのパン屋さんとかスーパー。
なじみの人やものが周りにあるということは、
安心感があるけれど、
ちょっと病院に行ったとか、
別のお店に行ったとか、
いつでもどこでも誰かに互いの情報が入ることが多く、
どことなく窮屈なときがあった。
人と関わって、幸せだとか辛いだとかいう
「感情」を共有することにも
なんだか疲れていた。
「誰かが何をした」
「誰かの旦那さんや子どもがどうなった」
そのことについて討論する。
わたしは、そういう話から
離れてみたかった。
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ちょうどよかった。
家にかける労力について考え始めたことで、
なんのゆかりもない土地に引っ越しまでした。
いまは他人の情報が入ってくることもなく
穏やかに暮らしている。
当たり前だ。
他人と接しないのだから。
まず、感情が発生しない。
でもその当たり前のことが避けられず
いろいろと悩むことがあった。
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本当のところ、ここに来る前は、
わたしのことを誰も知らない街で暮らすなんて
自分はどうなるんだろう、と考えていた。
「不安」とはちょっと違う、
自分がどうなるか、観察する感じ。
予想通り?というか……
いまのところ、千葉の暮らしが恋しいとか
そういう気持ちはまったくない。
寂しいことなのかもしれないけど、
どこかに行っても近所の人に
お土産を買うことがなくなったから
交際費が減ってお金も貯まる。
「大丈夫」
人は生きていく上で
地域や組織に属すことが多くあるけれど、
今わたしはどこにも属していない。
わたしの心は穏やかだ。
これから、この属さない生き方をやめるときが来るのか。
いまは自分という人間がどっちの方向へいきたいのかを
観察して確認しながら、
自分の生き方を決めていこうと思っている。