私の解離体験―正常解離について考える
この頃、解離という現象に関心があり文献を読んでいると、小・中学生の頃の私が体験していたことに近しい内容が書かれているということあり、大変興味深く思う。しかしそれはいずれも病的な解離ではなく、心の機能としての正常な解離であると考えられる。
『こころの科学』221号において、柴山雅俊氏は解離症の症状を、空間的変容に基づく症状、時間的変容に基づく症状、精神病様症状の三つに大分している。さらに空間的変容について、「「いま・ここ」にいる自分を「世界の中の存在者としての私」と呼び、他人事のように見ている自分を「眼差しとしての私」と呼ぶ」と述べているが、私はこのことには大変心当たりがあった。今回は、この心当たりについて考察しながら、解離について考えていきたい。
同論文にて、空間的変容について、「眼差しとしての私」という離隔と、「存在としての私」の過敏に分けられるとされている。前者が、離人感・現実感消失症などに代表されるものであるのに対して、後者は主体が「存在としての私」に位置づけられ、気配過敏、対人過敏、思考強迫、感覚過敏などの症状を呈する。
ここで、冒頭にも述べた心当たりのある2つの体験について紹介したい。
まず1つ目は、中学1年生の時、学習帳に散文を書いて提出することで国語の加点を貰っていたのだが、私が入学して初めて書いた散文に以下のような一節があった。
「この世界はゲームスクリーンのようであり、そのスクリーン上で動く主人公は実際の私ではなく、そのゲームを操作しているプレイヤーこそが自分である。」
これは、「ゲームスクリーン上の主人公」として実際に現実世界を生きている「存在としての私」を、「眼差しとしての私」がプレイヤーとして見ているという体験であると考えられる。
2つ目は、小学6年生の時の話だが、当時もやはり四六時中色々なことを考えノートに書き留めていた。その中でも印象に残っているのが、これまた自分という存在を分けて考えていたことだ。
何かを思ったり考えたりする心としての自分「ぼく」、「ぼく」を覆い現実世界に生きる身体としての「わたし」、「ぼく」と「わたし」を統合し見守る「私」。自分はこれらの3つの自分からできていると考え、自己内対話を行っていた。「ぼく」は基本的に、「わたし」に対して物凄い敵意を持っていて、死んでしまえとまで思っている。一方で、「わたし」は「ぼく」を守って、全ての衝撃や傷を受け止めてボロボロになっていた。「ぼく」はそのこともわからずに、「わたし」を罵倒し続けるのだが、「私」の仲裁もあってか、次第に「わたし」が自分を守ってくれていたのだとわかるようになる…という内容であった。
これも、「わたし」という外界での体験を引き受ける「存在としての私」を、「ぼく」という「眼差しとしての私」が他人事のように見ていると言い換えることができる。自分の体を外から眺めているという体外離脱体験とは異なるが、2つの私の関係性を見ればこれもある種の解離体験ではないかと考えられる。
ただし、私はそれらを統合しようとする「私」をあえて登場人物に据えていた。
『こころの科学』221号の王百慧氏・黒木俊秀氏は、正常な解離では一瞬で統合した状態に戻ることができると述べている。このことから、私は「私」という機能によって自らが統合された状態を保とうとしていたのではないかと思われる。したがって、これらはあくまで正常な解離としての現象であったと捉えることができる。
また、「存在としての私」に位置づけられる過敏についても心当たりがあり、確か小学校4年生頃から今に至るまで、弱体化しながらも続いているように思う。今でも、「後ろから刺されるのではないか」と怖くなり、カバンで背中を隠して小走りするということはままあるが、日常生活に支障をきたすほどではない。これに関しては、簡単に消えるものでもないし、これがあることによって危険察知能力が若干鋭敏に働いてくれている可能性もあり、そこまでの悪者ではないと思う。つまり解離症状は現在は殆ど消失していると言ってよいだろう。
結果として、私の正常な解離体験は小・中学校のエピソードを中核として、緩やかに続いてきたということがわかった。私が思うに、恐らく解離しなければならない何らかの理由があったはず。このままボロボロになっている「わたし」を実際に体験していては壊れてしまうとわかっていたのだと思う。
自分を守るための解離という意味では正常と言えるかもしれないが、解離せずに生活している子どもたちも多いだろうと考えると、正常だから健康と言い切ってしまうのは少々乱暴かもしれない。正常解離が一時的な避難手段であるとしたら、避難所で生活し続けることが果たして最良の方法だろうか。その時は仕方ないのだとしても、帰ってもよい場所があることは、その人にあたたかい安心感をもたらすのではないだろうか。