#EXテレビ
奇跡の芸人・マルセ太郎
「タモリ、ビートたけしは『文明』だ。マルセ太郎は『文化』だ」と言ったのは、落語界の重鎮・立川談志。
「マルセ太郎が売れないのは『お笑いの芥川賞』で、『直木賞』じゃないからだ」と言ったのは、芸人・書評家の内藤陳。
これらの言葉をマルセ太郎(以下、敬称略)自身も気に入っていた。
「11PM」と「EXテレビ」
「朝の連続ドラマ」が終わり、僕は「制作部」内で異動する事になった。
いろんな番組を作っていたが、「EXテレビ」(日本テレビ・読売テレビ制作、日本テレビ系1990〜1994年)だけは行きたく無かった。
「EXテレビosaka」(火曜・木曜、読売テレビ制作)。
番組のコンセプトは、「今までの『テレビ』を壊す事」。何事にも妥協しない敏腕のUさんがプロデューサーをやっていた。
テレビのプロデューサ
「EXテレビ」をやりたくなかった
「朝の連続ドラマ」の大阪での制作が終わり、バラエティー番組に異動する事が決まっていた。
どうしても行きたくなかったのが、「EXテレビosaka」。
同期のU君がプロデューサーをやっており、番組のコンセプトは「今までのテレビをぶち壊す」だった。
「ゲストもセットも何にも無いスタジオで、生放送、ただただ上岡龍太郎さんが一台のカメラに向かって1時間話し続ける」
「放送が終わっているNHK教育テレ