マガジンのカバー画像

テレビの裏側

329
テレビ制作・テレビ宣伝の裏側・思い出を綴ります。
運営しているクリエイター

#EXテレビ

ディレード放送

ディレード放送

ディレード放送という放送形態がある。

いちばんよく使われるのが、ゴルフ中継。

ゴルフ中継の場合、16番、17番、18番にそれぞれ中継車が置かれ、同時に行われている3ホールの映像が本社のサブセンターのVTRに収録し続けている。

どのホールの映像を使うか決めて、その場で編集しながら、リアルタイムとは遅れて放送するのである。

「生放送」でありながら、一部分、少し遅れて放送する事だ。

僕もディレ

もっとみる
奇跡の芸人・マルセ太郎

奇跡の芸人・マルセ太郎



「タモリ、ビートたけしは『文明』だ。マルセ太郎は『文化』だ」と言ったのは、落語界の重鎮・立川談志。


「マルセ太郎が売れないのは『お笑いの芥川賞』で、『直木賞』じゃないからだ」と言ったのは、芸人・書評家の内藤陳。

これらの言葉をマルセ太郎(以下、敬称略)自身も気に入っていた。

「EXテレビ」お通夜

「EXテレビ」お通夜

「EXテレビosaka」で「お通夜」という番組をやった。数少ない僕の企画である。

元々の企画の発想のスタートは2つ。

1つは、黒澤明監督の映画「生きる」である。

この映画は確か志村喬扮する主人公の「胃のレントゲン写真」にナレーションが被り、続いて「主人公のお通夜」で市の職員たちがお酒を呑み、大騒ぎしているシーンに繋がったと思う。

そこから、「主人公が生きていた時の回想」が始まる。

2つ目

もっとみる
元赤軍派議長・塩見孝也

元赤軍派議長・塩見孝也

僕は構成作家の疋田哲夫さんと東京・高田馬場にある塩見孝也(1941〜2017)さんの事務所に向かっていた。(以下、全て敬称略)


塩見孝也、元・共産同赤軍派議長。テロリスト。「日本のレーニン」と呼ばれる。


1970年3月逮捕、その半月後に起こった「よど号事件」他で起訴される。

入獄。


1989年、約20年の刑期を終え、府中刑務所から満期出所。

つまり、あの「赤軍派」を作った人と

もっとみる
今のテレビの中の「笑い」とは❓

今のテレビの中の「笑い」とは❓

放送作家の疋田哲夫さんとは「EXテレビ」で「棺桶トーク」を一緒にやったが、「笑い」は「風刺」であるという意見には大賛成だ‼️

数日前、TBSで「8時だヨ!全員集合」の「ベストコント集」を放送していたが、「令和の子どもたち」も大笑いしていた。

- YouTubeEnjoy the videos and music you love, upload

もっとみる

「11PM」と「EXテレビ」

「朝の連続ドラマ」が終わり、僕は「制作部」内で異動する事になった。

いろんな番組を作っていたが、「EXテレビ」(日本テレビ・読売テレビ制作、日本テレビ系1990〜1994年)だけは行きたく無かった。

「EXテレビosaka」(火曜・木曜、読売テレビ制作)。

番組のコンセプトは、「今までの『テレビ』を壊す事」。何事にも妥協しない敏腕のUさんがプロデューサーをやっていた。

テレビのプロデューサ

もっとみる

塩見孝也 元赤軍派議長

僕は構成作家のKさんと東京・高田馬場にある塩見孝也(1941〜2017)の事務所に向かっていた。(以下、全て敬称略)

塩見孝也、元・共産同赤軍派議長。テロリスト。「日本のレーニン」と呼ばれる。

1970年3月逮捕、その半月後に起こった「よど号事件」他で起訴される。

1989年、約20年の刑期を終え、府中刑務所から満期出所。つまり、あの「赤軍派」を作った人と言えば分かりやすいかも知れない。

もっとみる

EXテレビ「お通夜」

「EXテレビosaka」で「お通夜」という番組をやった。数少ない僕の企画である。

元々の企画の発想のスタートは2つ。

1つは、黒澤明監督の映画「生きる」である。この映画は確か志村喬扮する主人公の「胃のレントゲン写真」にナレーションが被り、続いて「主人公のお通夜」で市の職員たちがお酒を呑み、大騒ぎしているシーンに繋がったと思う。そこから、「主人公が生きていた時の回想」が始まる。

2つ目は、「お

もっとみる

マルセ太郎さん

「タモリ、ビートたけしは『文明』だ。マルセ太郎は『文化』だ」と言ったのは、落語界の重鎮・立川談志。

「マルセ太郎が売れないのは『お笑いの芥川賞』で、『直木賞』じゃないからだ」と言ったのは、芸人・書評家の内藤陳。
この言葉をマルセ太郎(以下、敬称略)自身も気に入っていた。

「芸人みんなが甲州街道をマラソンで競走している時、青梅街道を一人マラソンで走っているのが私、マルセ太郎」と言ったのは本人の弁

もっとみる

白岩久弥さん

プロデューサーでディレクターの白岩久弥さん。僕が入社して付いた「11PM」の先輩だった。

白岩さんは本当はテレビ局では無く、落語家を目指していたそうだ。僕は生涯通じて、こんな利発な人に会った事は無い。

スタジオでのディレクションも完璧。サブ(ディレクターが指示を出す部屋)ではカメラ割り通りも思うがまま。CMに行く時は立ち上がって、勢いを付けてCMの合図を出していた。

イタリアのファッションシ

もっとみる

「EXテレビ」をやりたくなかった

「朝の連続ドラマ」の大阪での制作が終わり、バラエティー番組に異動する事が決まっていた。

どうしても行きたくなかったのが、「EXテレビosaka」。

同期のU君がプロデューサーをやっており、番組のコンセプトは「今までのテレビをぶち壊す」だった。

「ゲストもセットも何にも無いスタジオで、生放送、ただただ上岡龍太郎さんが一台のカメラに向かって1時間話し続ける」

「放送が終わっているNHK教育テレ

もっとみる

上岡龍太郎さんがキレた‼️

上岡龍太郎さんが逝った。僕は上岡さんは「不老不死」だと勝手に思っていた。

58歳で芸能界を引退されてから81歳で亡くなるまで公言されていた通り、横山ノックさんの告別式など数少ない機会を除いて、公の場に出られる事は無かった。

「親族だけの密葬」で済ませ、「お別れの会」も開かないというのも上岡さんらしい。

僕は30年程前、「EXテレビosaka」で2年間、上岡龍太郎さんと仕事をした。

それまで

もっとみる

マルセ太郎さん

芸人・マルセ太郎さんが好きだった。あの落語家・立川談志に、「ビートたけしは文明だ。マルセ太郎は文化だ」と言わせた芸人。その事を「EXテレビ」の会議で話すと、やってみろという事になった。確たる自信がある訳では無かったが、企画は既に走り出していた。

マルセさんの神戸公演の後、時間をもらった。鮨屋のカウンターで横並びに座り、番組の企画を説明。すると、マルセさんは言った。「俺の芸はテレビの短い時間では表

もっとみる