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テレビの裏側

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テレビ制作・テレビ宣伝の裏側・思い出を綴ります。
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2024年7月の記事一覧

日本のエンタテインメント

日本のエンタテインメント

「韓国のエンタテインメント」が地球上の様々な国向けに発信されている。

また、動画配信などで、「海外市場」を見据える日本の「エンタテインメント企業」も多い事だろう。

僕が現在勤めているテレビ局でも、その傾向が結構見られている。

果たして、「日本のエンタテインメント」の「方向性」は、「韓国銀行」と同様、「海外市場」向けにシフトしていいものなのだろうか❓

僕は疑問に思う。

ます、増加し続ける「

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山田太一さんが日本に遺した「優しさ」

山田太一さんが日本に遺した「優しさ」

脚本家・山田太一さんが亡くなられてから、山田太一さんの本を読み漁り、ドラマを観続けている。

山田太一さんが描いて来た「日本人の優しさ」「日本人の原風景」を今こそ、「日本人」は大切にしなければいけないのではないだろうか❓

ほとんど、全ての事が「儲ける」という「動詞」に象徴されている「現在の日本社会」。

その先には「幸福」は無いだろう。

その事に、みんな早く気付いて欲しい。

ただ、それだけを

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ドラマ「Shrink 精神科医ヨワイ」

ドラマ「Shrink 精神科医ヨワイ」

8/31スタートのドラマ「Shrink 精神科医ヨワイ」の第2話は僕が罹患している病気「双極性障害(昔の「躁うつ病」)」を扱う。

「心療内科医涼子」のテレフォ

てめえ、殺すぞ‼️

てめえ、殺すぞ‼️

後輩のIプロデューサーに「新宿二丁目のゲイバー」で怒鳴る様に言われた。

彼の唾が僕の顔に飛び散った。

彼も酔っていたのだろう、その時。

しかし、僕は彼の言葉を一生忘れない。

脚本家・遊川和彦さんが「企画・原案」で、女優・松下由樹さん主演の連続ドラマは「彼の企画」だった。

二人を連れて来たのも、彼と日本テレビエンタープライズ(現・日テレアックスオン)の大森美孝プロデューサーのおかげ。

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終りに見た街

終りに見た街

山田太一の小説「終りに見た街」の3度目の「テレビドラマ化」がテレビ朝日から発表された。

主演は「大泉洋」、脚本は「宮藤官九郎」。

最高の布陣だと思う。

この小説は過去2回、テレビドラマになっていて、1度目の主演は「細川俊之」。2度目は「中井貴一」。

終りに見た街 (小学館文庫 や 22-3)amzn.asia607円

パリの漫画喫茶

パリの漫画喫茶

NHK「ドキュメント72時間」で「パリの漫画喫茶」に集まる人々を追いかけていた。

フランスでも「日本の漫画」は大人気‼️

元々、フランス人の多くが「日本のアニメ」で育っているという環境も大きいだろう。

パリにある「日本の漫画喫茶」には、家族連れが訪れたり、5〜6時間バスに乗って来る常連さんも少なくない。

客層もさまざま。

フランス人の多くが「日本の漫画」の「魅力」として感じているのが、「

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「市川崑」の助監督

「市川崑」の助監督

テレビ番組「遠くへ行きたい」は1970年10月に放送がスタートしてから、今年で54年になろうとしている。

「TBS」の有志で作られた「日本で初めてのテレビ番組制作会社「テレビマンユニオン」が最初に請け負った番組が「遠くへ行きたい」。

スタート当初は「テレビマンユニオン」一社で制作されていたが、諸々の事情があって、月一度だけ、現在の「田園工房」が制作する事になった。

一説によると、「テレビマン

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正司照枝さん死去

正司照枝さん死去

大阪時代「朝の連続ドラマ」に御出演頂き、大変お世話になった。

気さくな人柄で撮影現場を盛り上げて下さった。

今年1月の長女・正司歌江さんに続いて、照枝さんまでも・・・

「朝の連続ドラマ」で御一緒した三女の正司花江さんはお元気だろうか?

いちばん、気さくだった。

正司照枝さんの御冥福を心からお祈り申し上げます。

渡辺文雄さんとの映画の話

渡辺文雄さんとの映画の話

俳優の渡辺文雄さん(1929年〜2004年)。

僕が旅番組「遠くへ行きたい」のプロデューサーをやっている時、知り合った。

当時、「遠くへ行きたい」のロケは3泊4日で行われていた。

渡辺文雄さんが「旅人」の時、長崎県対馬のロケ地に、高めのウィスキーを持って、陣中訪問した事もある。

対馬空港付近では、常に強風が吹き荒れ、福岡空港を離陸した時、機内アナウンスで、

「対馬空港付近は風が強い為、3

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EXテレビ「夢」

EXテレビ「夢」

今、病室で寝ていて、「悪夢」を見た。

大学を卒業して、会社には就職したけれど、何十年も経って再び「大学受験」の直前に戻り、「全く受験に受からないという恐怖で怯えるという夢』。

僕の母親は「超過干渉」だった。いや、僕が64歳になる今でもそうなのである。

それが子供の頃から嫌だった。今夜見た「夢」にも現在85歳になる母親が出て来る。

僕は猛烈に彼女に抵抗し続けるのだ。

「EXテレビosaka

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スマイル

スマイル

映画「モダンタイムス」のラストシーンで使われた、チャールズ・チャップリン作曲の「スマイル」。

僕はドラマ「オンリーユー愛されて」でAPをしていた時、この曲に関して印象的な瞬間を憶えているのである。

近藤晋さん

近藤晋さん

元・NHKの名プロデューサー、近藤晋(すすむ)さんとは二度ドラマで御一緒した。

一度目は連続ドラマ「永遠の仔」

二度目は連続ドラマ「天国への階段」

近藤晋さんと言えば、市川森一脚本の大河ドラマ「黄金の日日」、山田太一脚本の大河ドラマ「獅子の時代」、「男たちの旅路」、「シャツの店」など、僕が視聴者として、「テレビドラマ」を観て来て、「心に深く刻まれたドラマ」を数多くプロデュースしている。

社屋の変遷

社屋の変遷

僕が「よみうりテレビ」(当時はひらがな表記だった)に入社したのは、1983年(昭和58年)。

1958年に開局した当時の「大阪市北区東天満」にある社屋だった。

開局時、お寺の墓地を潰して半年間で建てられた社屋。

増築増築で社内は迷路の様に入り組んでいた。

スタジオは「第1スタジオ」「第2スタジオ」の2つ。「サブ」(副調整室・・・ディレクターがいて、指示を出すスタジオの上にあるスペース)は1

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「脚本家・山田太一さん」行きつけの喫茶店

「脚本家・山田太一さん」行きつけの喫茶店

川崎市高津区の山田太一さんの自宅近くにその喫茶店はあるという。

山田太一さんが様々な「名作ドラマ」の構想を練ったこの喫茶店に一度は行ってみたい。

なんなら、もうどなたも住まれていないのだろうが、墓地の前にあるという「白い一戸建ての御自宅」も是非見てみたい。

一、山田太一ファンとしての熱い思いである。