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テレビの裏側

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テレビ制作・テレビ宣伝の裏側・思い出を綴ります。
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2023年11月の記事一覧

早撮り監督

僕が大阪で甲斐智枝美主演の「見上げればいつも青空」という「朝の連続ドラマ」の助監督をやっていた時の事。

元・毎日放送の瀬木さんという監督と仕事をした。

瀬木さんは「毎日放送」にいた時代、「賞取り男」と言われ、数々の名作ドラマを手がけてきた。

フリーになった瀬木さん。

ある日、翌日のロケの「カット割り」をコピーする為、監督から台本を借りた。4ページにわたるシーンが有ったのだが、「白紙」で何も

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ミヤコ蝶々さんと野際陽子さんとゲランちゃん

「朝の連続ドラマ」でミヤコ蝶々さんがスタジオ入りされる時、僕は必ず控室の前で早い時間からお待ちしていた。

控室の「表記」は、「ミヤコ蝶々様」「ゲラン様」である。

ミヤコ蝶々さんの愛犬が「ゲラン」。ミヤコ蝶々さんが現れる前に、ゲランが廊下を勢いよく走って来る。

ミヤコ蝶々さんは控室の「表記」をサッと見て、

「ゲラン、お前の名前もちゃんと書いてくれてはってるで」

ととっても嬉しそう。

もち

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入社した頃の「よみうりテレビ・制作部」

僕は、昭和58年(1983年)に読売テレビに入社。大阪本社の「制作部」に配属された。

その時、「東京制作部」を含め、「昭和37年入社組」の先輩方がバリバリ働いておられた。

「2時のワイドショー」班の部次長をやられていた橘功さん。

「おもしろサンデー」「びっくり日本新記録」「寛美85分」「お笑いネットワーク」班の部次長をやられていた広田基さん。

「お笑いネットワーク」「上方お笑い大賞」のプロ

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鶴橋康夫監督を悼む

「『視聴者』と『相手役』と『監督である僕』と『映像の神様』の4つのショット」を撮らせて下さい。

1976年の連続ドラマ「新車の中の女」の撮影現場で、鶴橋康夫監督が主演の浅丘ルリ子さんに言った言葉だ。

鶴橋康夫監督は、基本、4方向から2カメで8パターンの映像を撮って、それを粘りに粘って、緻密に編集する。

僕は1994年夏、大阪の「制作部」から東京の「ドラマ制作部」に異動になった。

「阪神淡路

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ドラマ「永遠の仔」のクランクアップ

連続ドラマ「永遠の仔」。

中谷美紀さん、椎名桔平さん、石田ゆり子さん、渡部篤郎さん他、素晴らしいキャスト、「ツルさん」こと、鶴橋康夫監督始め、素晴らしいスタッフが集結し、しんどいけど充実した撮影現場に僕は立ち会った。

中谷美紀さんのラストシーン、二子玉川、多摩川の河原での徹夜での撮影。

空が白み始めた頃、監督の「OK」が出た。

4ヶ月間、「父親から性的虐待を受けて来たキャラクター」を演じ続

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ドラマ「心療内科医涼子」

連続ドラマ「心療内科医・涼子」(1997年10月〜12月)をプロデュース。

「心」に関係する病気を治療する医師が主人公のドラマは初めてだった事もあり、どう視聴者に事前に伝えていこうか、宣伝しようかと僕は悩みに悩んだ。

そこでお願いしたのが、コンセプターの秋山道男さん(1948〜2018)。

秋山さんは、当時、「小泉今日子のコンサートのコンセプト」等、多方面で活躍されており、是非お仕事を御一緒

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マルセ太郎さんと哲学

芸人のマルセ太郎さんの、東京・狛江の御自宅に何度もお邪魔し、長時間お話を伺った。

生前のマルセ太郎さんは芸人なのに、「哲学書」を読んでいる様な人だった。

マルセさんは言う。

狛江市に「ふれあい広場」という公園が出来た。誰でも自由にいろんな人といろんな事が出来る、「ふれあえる」と思っていた。

しかし、「ふれあい広場」の入口にはこんな事が書かれた看板が立っている。

「ふれあい広場」を利用する

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「VIVANT」最終回

アメリカでは、「大人の女性」に「可愛い」と言ったら、怒られるそうである。

日本では、「tiktok」や「YouTube」、「テレビ番組」ほかで「可愛い」動画が溢れかえっている。

今の日本社会の流行は明らかに「女性主導」である。

「女性が行きたい場所」にたくさんの人々が集まり、「女性の食べたいスイーツのお店」に人々は長蛇の列を作る。

「男性」はと言うと、「情報過多の社会」の中で、「大きなスト

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大好きな脚本家

木下惠介、山田太一、遊川和彦、橋本忍、山田洋次、I・A・L ダイアモンド、ビリー・ワイルダー、メル・ブルックス、倉本聰、コリン・ビギンズ、ポール・ハギス、アラン・パーカー、足立紳、黒土三男、手塚治虫、秋田佐知子、向田邦子、生方美久、渡辺あや、笠原和夫、三谷幸喜、和田誠、黒澤明、市東さやか、坂元裕二、伴一彦、野島伸司、鎌田敏夫

「11PM」と「EXテレビ」

「朝の連続ドラマ」が終わり、僕は「制作部」内で異動する事になった。

いろんな番組を作っていたが、「EXテレビ」(日本テレビ・読売テレビ制作、日本テレビ系1990〜1994年)だけは行きたく無かった。

「EXテレビosaka」(火曜・木曜、読売テレビ制作)。

番組のコンセプトは、「今までの『テレビ』を壊す事」。何事にも妥協しない敏腕のUさんがプロデューサーをやっていた。

テレビのプロデューサ

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横山ホットブラザーズ

「たかじんnoばぁ〜」(読売テレビ・関西ローカル・1992〜1996年)という深夜番組があった。最高視聴率は25%を超えるお化け番組だった。

「やしきたかじんさんが実際に本物のお酒を飲みながらバーでゲストを『本音トーク』でもてなすというコンセプト」の番組。

スタジオに、たかじんさんの強い要望で、「本物のバー」と見間違える様な「バーのセット」が多額の費用を使って建てられた。

二本録りだったので

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笑福亭鶴瓶さん「筋ウンコの話」

笑福亭鶴瓶さんが「鶴瓶上岡のパペポTV」(読売テレビ1987〜1998年)で言った話。

「俺の『嫁』になる女は『俺の筋ウンコが付いている白いパンツを洗える女』なんや」と。

その言葉を思い出しながら、僕が「今の嫁」(前の嫁はいないが)と何で結婚しようと思ったか、考えてみると、「デートしている時、僕がティッシュで鼻を噛んだら、横から嫁の手がサッと伸びてきて、そのティッシュを自分のカバンに躊躇無く入

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オールナイトサブローシロー

僕が大阪本社の「制作部」にいた時代、先輩ディレクターが関西ローカルで、「オールナイト紳助」(読売テレビ・1984年頃)という番組をやった。深夜の3時間くらいの生放送。

四畳半くらいの広さの「ニューススタジオ」を借りて、島田紳助さんが1人MC。カメラはカメラマン無しの無人カメラが1台あるだけ。

カメラの映る範囲を変える為に、紳助さん本人が一度OA画面から外れて、カメラを操作しに行く。

企画とし

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生放送の「確定」

「生放送」には「確定」と言う用語がある。

いちばん、多くの人が知っている「確定」は、「24時間テレビ」の「大エンディング」。

あの名曲「サライ」がスタートする時間は「番組のエンド」から逆算して、「◯◯時◯◯分◯◯秒」まで「確定」で時間が決まっている。

たとえ、まだ「チャリティーマラソンランナー」がゴールしていなくても。強制的に「サライ」は定刻に流れ始め、そのイントロで、羽鳥アナウンサーが「募

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