早撮り監督
僕が大阪で甲斐智枝美主演の「見上げればいつも青空」という「朝の連続ドラマ」の助監督をやっていた時の事。
元・毎日放送の瀬木さんという監督と仕事をした。
瀬木さんは「毎日放送」にいた時代、「賞取り男」と言われ、数々の名作ドラマを手がけてきた。
フリーになった瀬木さん。
ある日、翌日のロケの「カット割り」をコピーする為、監督から台本を借りた。4ページにわたるシーンが有ったのだが、「白紙」で何も書かれていない。
監督が「カット割り」し忘れたのかと思い、確かめに行った。
そうすると、監督は「シーンのアタマのページ」を指差してこう言う。
「ずっと、『2LWS』(出演者2人の腰まで入った少し広めの画)」でいくんだと。
4ページ強、同じ「映像」でいくらしい。
翌日の撮影現場。撮影が始まると、長いシーンなので、出演者が台詞NGを出してしまう。
そうすると、「シーンのアタマ」からやり直すのでは無く、NGが出た所で「出演者のアップ」を1カット撮って、また、「2LWS」で撮影は続行。
NGを出した出演者が悪いので、「基本、カット割りは変えない」というのが監督の理屈。
「早撮り監督」とはこういうものだと学んだ。
瀬木監督は「制作会社」に呼ばれた。撮影は「3週間分を2週間」で撮り上げるスピード。これがプロデューサーの目的。
「早撮り」してもらえれば、「制作会社」はそれだけ「製作費」が浮く。万々歳なのである。
瀬木監督も「毎日放送の局員」の時は「倉本聰さん脚本のドラマ」を粘って撮っていたと聞いたが、「フリーの監督」になると、そうはいかない。「早撮り」である事が必要条件の重要な要素なのだ。次の仕事のオファーが来る為にも。
読売テレビの香坂信之監督は3日間で「2時間ドラマ」一本を撮り上げていた。
普通の「2時間ドラマ」は約2週間をかけて撮るのが普通のスピード。3日間は驚異的な「早撮り」だ。
「木曜ゴールデンドラマ」(基本、読売テレビ制作日本テレビ系・1980〜1992)の「嫁姑もの」をたくさん撮り、毎回25%を超える世帯視聴率を上げた。
「京都」が舞台の「嫁姑もの」でも一切、「京都ロケ」は無い。
テレビが「アナログ」だから出来たのであろうが、「京都の情景」は「京都の絵ハガキ」を買って来させて、それを撮る。(これ、今やったら「写真の著作権」に関わる。40年位前の話です)
あとは全て、「スタジオ収録」。
幅2メートル位の「京都のお寺の設定の塀」をスタジオに建てて、「二人芝居」をずっと「2S(2人の芝居)」でカットを割らず撮る。
和室で「嫁と姑」の2人芝居。複数のカメラで撮るが、女優2人は座りっぱなし。
あの「ミヤコ蝶々さん」が「座っているのに飽きたから歩かせてくれ!」と言ったらしい。
同じセット、同じアングルで撮れるシーンはどんどん撮っていく。だから、出演者は「衣装替え」に追われる。
結果、撮影が何時間も巻く(元のスケジュールより早く終わる事)と、「後から入って来る出演者の入り」が間に合わなくなる。
その場合は、「基本、その出演者の出ているシーンはカット」。必要であるか無いかの判断は早い。
香坂さんのADをやっていた、のちに名ディレクターになる鶴橋康夫さん。
スタジオ収録で、マイクが画面に映り込んだので、勝手にNGを出したら、香坂さんに怒られた。
「スタジオで撮っているのだから、マイクが映るのは当たり前やろ!」と。
僕が新人の時、東映東京撮影所で香坂信之監督が撮影しているドラマの現場に立ち会った。
和室での女優さんの2人芝居。夏のシーンで、1人の方が
画面奥にある冷蔵庫から麦茶を取って来る。
麦茶を取って、冷蔵庫を閉めたら、力が強すぎて、冷蔵庫のドアが再び開いてしまった。
2人の女優が喋る向こう側に、ドアが開いたままの冷蔵庫が延々と映っている。
それでもこのシーンはOKになった。
香坂監督はお酒が好きで、飲みたい為に撮影を早く終わりたかったとも。
香坂信之監督は「木曜ゴールデンドラマ」が終わったと同時に61歳で亡くなった。
「大映京都」の森一生、「大映テレビ」の江崎実生、「東映」のマキノ雅弘(正博)、大作映画を数多く撮った「新東宝」の渡辺邦男、「早撮り監督」は多数いるが、この人たちは「賢く」「撮影を熟知」している。
映画もテレビドラマも「限られた予算」で制作する。
「早撮り監督」が余らせた「予算」で他の監督が撮影出来ている事も多いと思う。
昔から、「早撮り監督」に興味がある僕である。