見出し画像

適応障害と診断される私:退職へのカウントダウン⑥

はじめまして。ららんと申します。
自己紹介はこちら↓↓


今夏、人生で初めて「適応障害」と診断された。
私はメンタル不調とは無縁な人だと思って生きてきた。
そんな私が「適応障害」となった今、思うこと。


⚫︎前回のお話⚫︎

本社と電話を切ってから、しばらくして隣の部署の人たちがみんな帰り社内に1人になった。

この会社で過ごす時間もこれで最後。
ここまでよく頑張ったねと自分で自分を褒めた。

すべての机の中を確認した。
全て処分し、整理した。
部署の経理もやっていたのでそのあたりも私がいた日までの処理はすべて終わらせた。

必要な引き継ぎはword文書に書き記し、デスクトップにおいてきたし、後輩たちへのマニュアルは共有サーバーにおいてきた。

最後に机周りをすべて拭き上げ、アルコールで消毒して、私は会社を後にした。

そういえば、夕方。
クソ上司から電話がきたな。やけに機嫌が良くて気持ち悪かったっけ。


クソ上司:ねぇーさっきのチャットってどういうこと?
私:どうって・・・チャットで送った内容がすべてですよ笑

クソ上司:えーじゃあ明日土曜日だけど対応したほうがいいってこと?
私:お客様が急いでおられるのでそのほうがいいとは思いますが、判断はお任せします。

クソ上司:そっかーわかったー。そっちは1日問題なかった?
私:そうですね。問題なかったです。

クソ上司:おっけー!じゃあまた月曜日ね!!
私:・・・はーい!お疲れ様でした。(月曜日出勤しねぇけどなw)


これがヤツとの最後の会話だった。
最後まで私は自分の仕事をしっかりやり遂げた。後悔はまったくなかった。

そして、今日という日を最後に選んで本当に良かったと思ったし、誰にも何も告げず辞める選択をしたこともよかったと思う。

パートさんや後輩たちから贈り物をもらったり、笑顔で送り出してもらうような心境でもなかったし、セクハラ上司の顔色を伺うような終わり方なんか最悪すぎる。

私は最後まで”私”を貫いた。
すべて自分で考えて、自分の心に素直に動いた。これでよかったんだ。

お世話になりましたって言葉も出なかった。
今までありがとうございましたって思いもなかった。

この会社に足を踏み入れたこと自体が人生最大の汚点だけど
業務のDX化に触れられたことや、上長が仕事をぶん投げまくってきたおかげで、私は他の人よりたくさんの仕事をこなし、十分すぎるほどのスキルも手に入れた。この3年の知識と経験は今後の私をまた一回り大きくしてくれるだろう。

苦しみや悲しみ、怒りや憎しみも、私の血となり、骨となり、今後の私をさらに大きく成長させてくれるに違いない。

そう。
ここでの経験はマイナスなことばかりではなかったのだ。帰りの電車に揺られながら、外の景色を見てそう思った。

明日からは自分のメンタルに向き合おう。
まずは病院に行ってみよう。

ゆっくり自分を取り戻そう。

つづく。。。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?