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途方もない議論、続

量産型

この言葉を一時期至る所で耳にした

何を持って量産型というのだろうか
流行りの服を着て流行りのメイクをしていれば量産型になるのか
だけどその服を着てる人間の中には誰一人として同じ人間はいない

こうゆう事をいうと揚げ足取りと言われるか、面倒くさいやつと
思われるんだろうなきっと

どうしてこうカテゴリーに分けたがるのだろう
安心するのか?

それともカテゴリーからはみ出てる人を指さすためか?

「人間みなそれぞれの個性があります
 それを認め合って多様性を伸ばしていきましょう」

そんな言葉を耳鳴りがするほど聞いてるが
だったらなおさら、カテゴリー分けなんていらないだろう
でもそういうわけにはいかないのが人間界だ

カテゴリー分けしなければ
モラルが保たれない場面があるのも事実
認めあうの定義も人それぞれ違う

受け入れることが正義で受け入れられないことが悪
これもまた違う気がする
きっとこの問題はずっと続くのだろう

わたしも自分のなかで議論を続けて
ここに書き残し続けるのだろう