Rei.tA

ただ、ただ、文を綴るのがすきです。 日々のなかで感じたことを綴る空間です。 自己満足の世界ですが良かったらお立ち寄りください。 Rei.tA

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あっち側、こっち側

自由、フリー、多様性と声をあげられる時代 とってもいい傾向のはずだ なのに声があがれば、あがるほど 心にギスっとした感覚が走るのはなぜだろう 心のうちで何を思おうが自由だ でも、表に出していい自由と 出してはいけない自由があると思う 自分のなかにある自由が何かを否定することに 繋がるなら心のうちにしまっておけばいい 誰かを否定する権利は誰にもないはずだから だけど差別は、きっとなくなりはしない いろんな人が居ていいんだ いろんな人が居て当たり前なんだ あっち側、

    • テーマパークと友人たち

      私はテーマパ―クが好きだ テーマーパーク独特の香りや雰囲気や音楽 それぞれがいい味を醸し出している ガイドブックを読み込み、インターネットで情報収集をする 一緒に同行する相手がしたいことは 必ず取り入れるが緻密なプランは立てない 友人たちからは歩くガイドブックなんて言われていて 私もそう言われることに笑みがでる 自分が一緒に行かなくても友人からここに行くんだけど どんな回り方がおすすめ?と聞かれるとうれしくなる でも、旅行会社で働いたことはない こんなワクワクを仕事

      • 相性ってなんだろう

        真っすぐな気持ちも歪んでいくのが人間だ 意思を持った人間同士が関わっていけば歪みが生じるのは至極全うの事だと私は思う その歪みをどうするか そこに「相性」が関係してくるのだろうなと思う でもその「相性」は相手を思う気持ちだと思う 「この人と一緒にいたい」と思えば合わせることを自然にするし もし、自分が曲げられないことがあったら相手と折り合いをつけようとする なんの気遣いも、思いやりも、ない状態での 「相性」なんてあるのだろうか

        • 深夜にふと思ったことを書いてみる

          わたしにとっての「いい人」が他の人にとって「いい人」とは限らない 人間は1つの面だけじゃないのだ それはわたしも同じで あの子に「好かれても」この子に「好かれてる」とは限らない 誰からも好かれたらきっとそれに越したことはない だからずっと「誰からも好かれるように」振舞ってきた でも、どこかで気づく瞬間がきた なにかきっかけがあったわけではない 単純に自分が疲れてしまった だから、自分と合う人を大切にしようと思う けど、合わない人をないがしろにするとはまた別で きっと

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        あっち側、こっち側

          noteとわたし

          noteを初めて2年が経った。 定期的に更新してるわけでなく本当にゆる~く続けている。 元々、文章を書くのが好きで昔は月に何回もコンクールに応募したりしていた。 今はたまにnoteのコンテストに応募している (今まで選ばれたことはない) でも、たのしい。 こんな私の文章にスキをしてくれる方々もいて そんな日は一日とてもにこにこしてしまう。 そしてスキをくれてた方々の文章に出会い、触れられるのが とっても嬉しい。 そして触れ合って私もスキを押す。 それぞれが思いのまま

          noteとわたし

          まねっこ

          わたしはいつも「この人みたいになりたいな」という対象を見つけて 生きてきていた 真似してみてみるいつも真似してみる 髪型や髪色、服装や、生活リズム でもどれも長続きしないで結局「わたし」に戻る いつもわたし以外の誰かになりたいと思っていた でも最近、わたしはわたしにしかなれないんだなと思う 髪型は、短めが楽で 髪色は、ハイトーンが好き 服装は、カジュアルなものが着やすい 生活リズムは、早起きは得意で夜更かしも好き 丁寧なストレッチとかは苦手で続かない でも朝の腹筋

          まねっこ

          憧れたようになれなくてもそれはそれで・・・・

          バリバリ働いてる人にずっと憧れはある 分かりやすくいうとカフェでパソコンやダブレットを 開いて難しそうな顔をしてる人を見ると 「かっこいいなぁ」と思う 中学生くらいの頃は自分もそうなるんだと思ってた あれから十数年経った今 カフェに行けば「どれにしようかなぁ~」とメニューを 開いているのが私の現実だ そしてあの頃と同じようにカフェで仕事をしてる人を見て 「かっこいいなぁ」とおもっている でもだからといって今の自分をどうこうしたいと思ってはいない 私にとってバリバリ働

          憧れたようになれなくてもそれはそれで・・・・

          個人的なおはなし

          はじめてその声を認識したのは小学校6年生のときだった テレビから聞こえるその声に耳が引っ張られた感覚を覚えてる 耳と同じように目線もテレビに向ける ナース姿でガラスをおもっくそ割る女性が映っていた その姿に目が離せなくなって親にCDを買ってほしいとお願いした それが私が初めて認識した彼女の姿だった そこから彼女の音に触れることになり、中学高校社会人を経た今も 私の生活の一部にその音がある 彼女のファンと言ったことはない それはなんだか少しおこがましい気がして いつも好き

          個人的なおはなし

          やる気に対しての途方もない議論

          なんとなくやる気が出ない やる気を出す為に、あれやこれやと試すうちに このあれやこれやをする必要を見失ってきた やる気がでないのに無理矢理出した先に 有意義な時間があるのか? やる気がないんだからやる気がないでいいじゃないかと私は思うのだ でも、大人になれば"やる気がないから"では済まされないことが増えるんだ いや、子供にもそんなときはあるか 授業中にやる気がないから居眠りしてたら先生に注意される 大人も子供もやる気がないからでは済まされない時間が共通にあるわけだ

          やる気に対しての途方もない議論

          おもいのままのことばのラレツ

          あの子の話、あの人の話、彼があんな事を言っていた 職場のあの人たちはこう言った 全ての言葉が流れることなく積み重なっていく感覚を 日頃から感じている 別にそれがなんだという話だと思うんだけれども 例えばその言葉たちがネガティブなことだと 非常に頭痛の種に変わっていく 「自分」の事を言われてるわけではないのに まるで「自分」を否定されてるような感覚になるからだ それもその瞬間ではなく少し時間が経ってからドロドロと 体内を循環していく感じ まぁでもそれでずっと生きていた

          おもいのままのことばのラレツ

          かんじかたってかわるなぁ

          数十年ぶりに花火をした 子供の頃は夏になると親や友達と一緒にやっていたが 大人になってからは初めてだなぁ まず、準備をする 昔はバケツに水を溜めていた。 今はそこに花火をいれると固まってそのまま捨てれるという優れものができていて時代の変化を感じた。 そして、安全確認をする。 子供のころは気づかなったけれど花火をするって 結構、準備がいるものだ。 子供たちは花火を眺めながら 「もうできる?」「もうはじめていい?」と 口々に言う。 きっと、自分もこうだったのだろうなぁ。

          かんじかたってかわるなぁ

          以外と自身

          いろんな話を日々して、いろんな言葉を並べてる 自分の中身を自分で埋めている だからふと虚しくなってしまう あぁ、からっぽだな私はって。 ちゃんとしてる様に魅せるのだけ だんだんうまくなっていく いつか化けの皮が剥がれるのに怯えてる みんなそんなもんだろ? そう自分に問いかけて、納得させる。 大丈夫、みんなこんなもんだ。 頭の私はそう言うけど 心のあたしは頷いてくれない。 多分、こう言いたいんだろう 自分"以外"の人にどう見られるかばかり気にして 自分"自身"にど

          以外と自身

          小さい背中に想うこと

          あなたたちがこれから先、生きていく未来を良くする為に私に何ができるだろうと小さい背中を見ながら思う。 政治家になれるわけでもなく、目指した事もない 何かの活動をしてるわけでもなく、予定もない。 ただ、日々あなたたちと生活している私には何が出来るであろう。 (教えることしか見つからない) 良いことばかり並べることはできない。 暖かい人ばかりではないし、平等はないに等しい。 だけど、暖かい人にもそうじゃない人にも 生きてきた道と背景がある。 きみにとって嫌なやつでも

          小さい背中に想うこと

          しゅわしゅわとシュワシュワ

          子供のころに始めて口に広がったしゅわしゅわ 甘いのに少し刺激的な味 夏になると恋しくなる甘くて刺激のあるしゅわしゅわ 学校帰りにそれを飲むと家までの道が少し楽しくなった 大人になって初めて口に広がったシュワシュワ ちょっと辛みがあるけど喉にすーっと入ってくる刺激が たまらないシュワシュワ 子供のころとは全然違う感覚だけど これもまた夏になると恋しくなる 仕事帰りにそれを飲むと「今日も一日がんばった」と 自然に笑顔になれる 子供のころのしゅわしゅわも 大人になった今のシュワ

          しゅわしゅわとシュワシュワ

          見え隠れする感情に嫌悪

          ちょっとずつ慣れてくると「人」は当たり前をちょっとず増やしていく 当たり前なんてこの世界には何一つとしてないのに 人は当たり前を増やしていく 何かの拍子にその当たり前の存在が薄れたり、無くなると 不平不満を垂れ流す 今まであったことに感謝することすらせずに垂れ流す あぁ、いやだなぁ 「人」のこうゆうとこ あぁ、いやだいやだ 暑い日差しで焦げそうな毎日のなかでそう思いながら 自分のなかにもその可能性が見え隠れする 「いつだって当たり前は人の感情によって作られてる」

          見え隠れする感情に嫌悪

          あの人たちの花

          あなたたちが別々の道を歩き出してからいろんなことがこの日本に 起こりました。 あなたたちが揃ってなくても、揃ってても同じことが起こっていたと思う。 だけど、何か起こるたびになぜかたまらなくあなたたちの姿が見たくなる。 ずっと見てきたから 日本に元気を、希望をくれてきたのを見てきたから 小学生の私の目にはあなたたちはいつだってヒーローだった そこからずっと15年以上、今でも あなたたちの歌が今こそ必要な気がしてます あなたたちが居たあの頃よりいろんな情報が日本をめぐるよう

          あの人たちの花