やっぱり私達は「やめる練習」が足りていないだけ。
昨日、小2の長男が「学校に行きたくない」と言い出した事を書いた。
幸いな事?に、その後は深刻な状況にならず。
ここ2日程は「行きたくない」と言い出す事もなくなっている。
でも、「言わない」だけで「思ってる」のかもしれない。
私の中で「ここで順応させる事がベストなワケじゃない」という気がしている。
皆が違和感を感じている
昨日の記事を執筆中に、自分の本棚から以前購入したこの本を取り出した。
本の中で「勉強」について相談された子への答えとして、こんな事が書かれていた。
そうなのだ。
長男のノートを見ると、「コレ書く必要あるの?」と感じる事が沢山ある。
例えば、過去の記事で書いた「小2 算数 表とグラフ」の授業。
この授業の中で、最初に「めあて」を書き最後に「まとめ」を2~3行書く。
それも「子供が考えて書く」のではなく、先生が書いた「めあて」と「まとめ」を全員が書き写している。
要る?
コレ、要るの??
ノートの中に「授業の流れ」が再現されているのだ。
後から振り返った時に、この日は何をしたのか?が分かるようになっている。
だけど。
それって必要あるのだろうか?
そもそもノートを読み返す事なんてあるのか?
教科書も、ドリルも配布されているのに。
わざわざノートを読み返して復習する子なんているんだろうか?
勿論、高校生とか大学生位になって「自分仕様」にカスタマイズしたノートであれば価値がありそうな気がする。
だけど「黒板を丸写し」したノートって価値ある??
ノートに限らず、「一斉授業スタイル」に対して「100年前と同じ事をやってる」「時代に合わない」と疑問視する人も沢山いる。
足し算ばかり
2020年からプログラミングの必修化が決まった頃に、小学校で教員をしている友人と話した事がある。
大学卒業後、ずっと「教員」として活躍していた友人は「プログラミング」なんてモノを学んだ事が一切ない。
それなのに「先生」として前に立たなければいけない。
今の業務にプラスして膨大な研修が必要になる。
子供に与えるカリキュラムだって増える一方だ。
プログラミングを必修化する事によって、勿論「授業時間」を減らした教科や省かれた内容もあるだろう。
それでも全体的な方向性に一切変化がない。
この前、石丸伸二さんが「ITスキル」について発言していた事を記事にしたけれど、足すばかりでは負担が増える一方。
一人の教員が全てをカバーできる程、人という資源にゆとりはないのではないか?
やめる勇気が必要
「書くのがメンドクサイ」と言う長男に、「先生にメンドクサイから書きたくないって言えば?」と提案してみた。
「そんな事したら怒られるから無理だ」と長男は言う。
殆どの先生が、立場上「書かなくて良い」とは中々言えないだろう。
だけど、例え「反抗的」と受け止められたとしても
子供自身が「必要ない」と判断したら
本人の責任でやめてみても良いのではないだろうか?
勿論、現状は授業中にノートを書かないからと言って、その時間に他の事ができるワケじゃない。
だけど、「意味があるのか分からない」事のせいで「学校に行きたくない」子が増えてしまうのは本末転倒な気がする。
公教育が100年前と変わらないのなら、親である私達が子供の「違和感」には敏感でいなければいけない。
声をあげ続けなければいけない。
そんな事を思った。
今日も有難うございました!
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