初めての学習発表会。君たちは何でそんなに楽しそうなのか?
「僕は、小学校に入ってから音読ができるようになりました。
声が小さくならないように気を付けて読みました。
気持ちは、慣れると凄く楽しいという事が分かりました。」
長男(小1)の通う小学校で、初めての学習発表会があった。
1年間で「できるようになった事」をそれぞれ自分で選んで発表するという保護者向けの行事。
長男はクラスの中でトップバッターだった。
数人の子供で構成された「国語グループ」。
横一列で挨拶をした直後に、スッと一歩前へ出て何のカンニングペーパーも持たずにスラスラと喋り出した。
下を向いたり、モジモジする事もなく、最前列に座っていた私の方を見るのではなく、全体を見渡して話ができていた。
泣けるとか、感動するとか、そういう感情は湧いてこなかった。
ただ驚いてしまった。
イメージと全然違う
子供の不登校が約30万人もいるらしい。
過去にも書いた様に、小学校から始まる「学校生活」は子供の主体性を失わせているのではないか?と私は思っていた。
でも、約1年小学校に通わせてみて思う事は、子供達の様子を見る限り皆イキイキと楽しそうにしている。
学習発表会も、緊張したり恥ずかしそうな様子の子はいたけれど、頑なに発表を拒んだり、前に出てこれない子供はいなかった。
中には、残念ながらこの発表会に来れないご家庭もあった。
でも、親が見に来ていない子もニコニコと楽しそうに発表していた。
私はその様子を見て泣きそうになった。
(自分の子の時は泣けないのに)
「あぁ、この雄姿を見てほしい…!」
「許されるものなら撮影してお届けしたい」と思う程、子供達は頑張っていたし良い表情だった。
多目的室で行われた発表会は、部屋のあちこちに子供達の写真や手作りの飾り付けが施されていた。
事前に発表会のプログラムと、子供が書いた手紙も配布された。
子供達が、この発表会をとても楽しみにしていた事を感じる事ができた。
全ての発表が終わり、担任の先生が
「皆、1年で色んな事ができるようになったんだなと改めて思いました。先生はちょっとホロっと泣きそうになりました」と話していた。
その先生を見て、子供達は皆とても嬉しそうに笑っていた。
何で皆楽しそうなのか?
楽しそうで何より♪
で、終わりたい所だけど。
私は「何で楽しそうなのか?」が気になって仕方がなかった。
保育園の発表会では、人前に出て話す事を嫌がる子供が数人いた。
単純に年齢的な成長なのか?
それとも、発表したい事を自分で選択するから?
でも「そもそも発表したくない」って子は内容を自分で決めたとしても嫌じゃないか?
それとも「1年生」と言う学年が、難しすぎない学習と新鮮な気持ちでポジティブな子供を量産しているのか??
私の時代と明らかに違う事
長男の小学校は、私が小学生だった頃と明らかに違う事がある。
それは、「起立・気をつけ・礼」という号令がないのだ。
という挨拶?で授業がスタートする。
先生に向かって頭を下げたりもしない。
私が子供の頃は「先生は偉い人」みたいな威圧感があった。
真夏に掃除をしている時、子供は水道水しか飲めないのに担任の先生はコップに氷が入った麦茶を飲みながら、私達が掃除する様子を眺めていた。
運動会で行進の練習を何度も繰り返された時も意味が分からなかった。
卒業式の練習も、「お別れの言葉」と言う1ミリも思っていないセリフを永遠に練習させられて凄く嫌だった。
「命令されている」
「働かされている」
「早くここから逃げたい」
いつもそんな風に感じていた。
でも長男の通う小学校を見る限り、私の時代の様な理不尽さを感じる事は少ない。
一斉授業は非効率だなとか、主体性を先生の主観で判定するのは微妙だなとか、気になる点がゼロなワケじゃない。
だけど、ちゃんと子供の人権が尊重されていると感じる。
正直、今メディアで言われているような「小学校のネガティブイメージ」とは全然違う。
私が子供の頃に大嫌いだった運動会も、とても楽しそうだった。
小学校という存在が有難い
1年で色々な行事があった。
保育園とは比べ物にならない位アナログで面食らったけれど、保育園時代よりも遥かに「保護者来校行事」が多くて、色々感じる事ができた。
余り頻繁に行事があると
「いつも親が見に来てくれる子」と
「親があまり見に来られない子」が出てしまう。
先生にとって負担が大きい。
そういう部分も多々あると思う。
でも、私は子供の成長を見る事ができてとても嬉しかった。
普段は、落ち着きがなくて子供っぽいと思っていた我が子が物凄く頼もしく感じられた。
色々準備が大変な中、こうして行事を開催してもらえて本当に有難い。
発表を見に来られなかった保護者さんに、今度会う機会があれば
「とても素晴らしい発表だったよ!!」と全力でお伝えしたいと思う。
今日も有難うございました。