大人になるのって素敵なことかもしれないね┆FNS27時間テレビを見てすごく感動しちゃったので
大人になると、なぜ涙もろくなるのか?
たしか祖母は「だんだん涙腺が緩むのよ〜」と言っていた気がするが、なんだか腑に落ちない。
なぜこれを真剣に考えているのか?
端的にいうと「FNS27時間テレビ」をみて、いたく感動したからである。
すごく感情が揺さぶられたんだけど、その理由はうまく説明できなくて、もうそれでも良いかなと思っている。ただ見逃せない違和感があって、仮に20歳のときの自分だったら、今ほど感動していない気がしているのだ。
それで、大人になると涙もろくなるって、このことだったのか!
と考えているのが事の経緯である。
ーー深堀りする前に、400文字以内で宣伝していいですか?(します)
どこかで誰かが言っていた「テレビは時間泥棒」という言葉を割と鵜呑みにして以降は特に、テレビにあまり興味を示さなくなっていたけれど、その価値観を揺るがされるくらいに良いものをみました。
よく笑ったし、企画にのめり込んで夢中になれた。
「学校かくれんぼ」や逃走中では、自分が参加している?というくらい鬼に見つからないかドキドキはらはらした。そんな少年心のような気持ちが自分に残っていたことにも驚かされた。
何よりも、最後の「カギダンススタジアム」という企画が最高だった。「観ている人を笑顔にするダンス」をテーマに高校生とカギメンバー(ハナコ・霜降り明星・チョコプラ・丸山礼)が生放送でダンスを披露する企画。
実は、もともと特別楽しみにしていた企画ではなかったのだけど、めちゃくちゃに感動して今こうやって感想を書いている人間が少なくとも一人いる。観てない方にはおすすめしたい。
(TVerで見逃し配信があります!!!これだけ推してますが、もちろん私には利益はありません。)
ーー本題に戻って、大人になると涙もろくなるのはなぜだろう?
「涙腺が緩む」以外には、「共感の引き出しが増えるから」という説もある。年齢ともに様々な経験を重ねるにつれて、共感できる対象が正比例して増えていくということ。
この説を聞いて、学生時代、悲しいなと思ったときに頭に流れた歌詞と繋がった。
悲しい経験をすると、人の悲しみも理解できるようになるから優しくなれる、という風に理解している。
大人になると涙もろくなることと、たしかに関連が深そう。
ーーさらに「幸せになる勇気」を読んでいて、アドラー心理学の中にも、もしかしたらと思うことを見つけた。
アドラー心理学に関するわたしの理解を大胆に要約すると、
「大人になる = 自己中心性からの脱却 = 愛することを知ること」
という関係が成り立つ。
「自己中心性からの脱却」は、わかりやすくいうと、
「主語が"わたし"から"わたしたち"になること」
大人になる中で、愛することをおぼえて主語の範囲が広がった結果、自分以外の他者に対する感情移入がうまくなっていくのでは、と考えた。
仮説なので、全然的外れかもしれない。
それでも大人になるのも素敵なことだな、と感じている。