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2014年5月の記事一覧
白い月に歌は響く 第一章③
神社のある崖から二十分ほど走ったところにその浜はあった。谷本とアリサは車を降りて、波打ち際へと向かう。
「ところで谷本さんの車、まだガソリン使ってるんですか? 公用車じゃないですよね」
谷本の車は一般に出回っている車より揺れが激しかった。最初は道のせいかと思っていたが、どうやら違う。運転席のメーター類を見るとすべてが針式なのだ。最近では、ほとんど見ることのない代物である。
「ああ。新しい
白い月に歌は響く 第二章①
朝、アリサは人の声で目が覚めた。
――どうして人の声が。ああ、そうか。
はっきりしない頭の中で納得する。スクリーンをつけっぱなしで寝てしまったのだ。部屋の明かりも点けたままだ。昨日、久しぶりに外を出歩いたうえ、会話を多く交わしたので疲れていたのかもしれない。いや、そんなことよりも、疲れの直接の原因は谷本の車だろう。
ぼんやりとしたままベッドから起き上がり、スクリーンに表示されている時
白い月に歌は響く 第二章②
「なんだこりゃ……」
それが被害者の自宅についた谷本の第一声だった。停めた車の中から見えるのは空き地。被害者の自宅どころか、建物すらない。
「なあ、住所間違ってるんじゃないのか?」
車から降りながら谷本は眉を寄せる。
「いえ、そんなはずは……」
アリサはボードを取り出してデータの確認をする。やはり住所は間違っていない。この場所だ。
車から降りて空き地を見渡してみる。隅の方に瓦礫が
白い月に歌は響く 第二章③
アリサはレポートの残りを仕上げるべく、無心でキーを叩いていた。谷本はデスクに頬杖をつき、暇そうにこちらの作業を眺めている。朝礼が終わってから「レポートなんて早く終わらせちまえ」と繰り返し言ってきては部屋をうろつき、資料を読み、そしてぼんやりとデスクに座ってはこちらを眺めたりする。どうやらこの一昔前の刑事は大人しくデスクに座っているということが耐えられないらしい。しかし、早く終わらせたからといって
もっとみる白い月に歌は響く 第三章①
翌日、出勤しようと寮を出たアリサは路肩に停められた旧型の車を見て足を止めた。見覚えがある。
「よう」
運転席の窓が開き谷本が顔を覗かせる。アリサは眉を寄せた。
「なんですか? こんな朝っぱらから」
「ストーカーじゃないから安心しろ。見せたいものがあるんだ。乗れ」
「……今じゃなきゃいけないんですか?」
「そうだ。署じゃちょっとまずい」
仕方なく、アリサは助手席に乗り込んだ。谷本は車を
白い月に歌は響く 第三章②
朝、アリサは憂鬱な気持ちで目覚めた。あれから行った谷本の家は予想以上の散らかりようで、まず始めたのは大掃除と殺菌。渋る谷本を何とか宥めながら三時間かけてようやく掃除をすませ、ボード指導に移ったのだ。しかし谷本の覚えは恐ろしく悪く、まったくと言っていいほど進まなかった。溜まった疲れは朝起きても残ったままだ。
朝食を食べる気にもならず、アリサはそのまま部屋を出る。すると昨日と同じように、路肩に谷
白い月に歌は響く 第三章③
ピースホープセンターは敷地こそ狭いが清潔感のある小さな建物だった。子供が少なくなっても、孤児がいなくなることはない。国営の施設もあるが収容人数が極端に少ないため、民間の施設が多い。国営に入りきらない子供たちがここに収容されるのだ。対応に差はないので結局どこに収容されても同じことだと聞いている。
入口でインターホンを押すと、すぐに返事があった。カメラ越しに、以前この施設にいた子供について話がした
白い月に歌は響く 第四章①
アリサは谷本の車でミライの住むビルへ向かっていた。昨日、あれから会いに行こうとしたのだが、黒沢の都合がつかないということで今日会うことになったのだ。
「あれから課長からのメールは?」
「ありません」
「そうか。まあ、今朝のニュースを見ればお前が送った阿呆なメールに反応する暇はないよな」
谷本は缶コーヒーを飲みながら言った。今朝のニュース。それは、警察官僚の一人が何者かに殺害されたというもの
白い月に歌は響く 第四章②
「どういうつもりなんですか? あんな約束するなんて」
バックミラーに黒沢の姿が見えなくなってからアリサは谷本を睨んだ。彼は鼻で笑う。
「さっきも言ったが、森田はあの実験に絡んでた。そして、それを調べようとしてた俺の事を警戒してる。お前は昨日のメールで信用がなくなっただろうから、今日にでも新しい監視がつくかもしれねえ。俺らがあそこに行ったことはもう森田に知られているが、その理由まではバレてない
白い月に歌は響く 第四章③
センターに到着すると小泉があの柔和な笑顔で温かく出迎えてくれた。
「あらあら。まだ、わたしにお手伝いできることが?」
昨日と同じようにティーカップをテーブルに置きながら彼女は言った。警察関係者をここまで歓迎してくれる人も珍しい。こうした対応に慣れていないのか、谷本は戸惑ったように黙り込む。その様子を物珍しげに見つめていると、視線に気づいたのか彼は咳払いをして「じつはですね」と口を開いた。
白い月に歌は響く 第四章④
谷本の車が向かったのは、最初に殺された幹部の遺体発見場所である廃工場だった。今は警察関係者とマスコミで賑わっているが、普段は決して誰も近づかない場所だ。
「あれ、この場所……」
一歩工場に足を踏み入れた途端、谷本は不思議そうに顎を撫でた。
「どうしたんですか?」
「いや、昔、ここに来たことがあるような……」
そのとき、現場調査中の若い刑事が一人、こちらに気づいて近付いてきた。
「お
白い月に歌は響く 第五章①
翌日、アリサはいつも通りの時間に起床した。睡眠時間はわずか三時間ほどだったが、捜査に復帰したからには朝のミーティングに顔を出さねばならない。手早く準備を済ませると眠気と闘いながら出勤する。
凶悪犯罪課の部屋にはすでに他の捜査員達が集まっていたが、谷本の姿はない。まさか、忘れているのだろうか。そう思っているうちに森田が現れ、ミーティングが始まってしまった。誰も谷本のことを気にした様子はない。いて
白い月に歌は響く 第五章②
署に着くと、アリサは谷本とは別の部屋に通された。そこは普段使われていない小部屋。一つしかない窓には格子がはめられている。元々は取調室として使われていた部屋らしく、埃を被ったデスクとパイプ椅子が二脚置かれてあった。アリサは耐え切れず、常備しているウェットティッシュで埃を拭き取ってから椅子に座る。そしてじっとデスクの上を見つめた。
谷本は隣の部屋にいる。隣は現在も使用されている取調室だ。この部屋
白い月に歌は響く 第五章③
非常ベルは一向に鳴り止む気配はなく、アリサたちが正面出入口に着くころにはなぜかスプリンクラーまで作動してしまい、辺り一面水浸しになっていた。署内は荷物や資料を水から守ろうと四苦八苦している者や避難しようとしている者たちで軽いパニック状態に陥っている。
「お前、ひでえことするな。これじゃ後片付け大変だろうに」
外に出てから谷本がボソリと呟いた。アリサ自身、まさかスプリンクラーが作動するとは思