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白い月に歌は響く 第五章①

 翌日、アリサはいつも通りの時間に起床した。睡眠時間はわずか三時間ほどだったが、捜査に復帰したからには朝のミーティングに顔を出さねばならない。手早く準備を済ませると眠気と闘いながら出勤する。
 凶悪犯罪課の部屋にはすでに他の捜査員達が集まっていたが、谷本の姿はない。まさか、忘れているのだろうか。そう思っているうちに森田が現れ、ミーティングが始まってしまった。誰も谷本のことを気にした様子はない。いてもいなくても別に構わないということなのだろう。なんとなく嫌な感じである。そんなアリサの気持ちを余所にミーティングは淡々と続いていく。その間、なぜか新田がずっとこちらを見ている気がしてアリサは居心地悪く、じっとボードを見つめ続けた。

「では、解散」

 森田の声を合図に捜査員たちは一斉に動き始める。アリサもその動きに混じるようにしてそそくさと部屋を出た。新田の視線が鋭く突き刺さってくる。追いかけてくるだろうか。廊下に出て振り返ってみたが、彼が部屋から出てくる気配はなかった。ホッとしながらアリサは再び歩き出す。すると、先にある自販機コーナーで暢気にコーヒーの缶を傾けている谷本の姿が目に入った。

「……何してるんです? こんな場所で」

 呆れながら深くため息をついて、アリサは言った。しかし谷本は素知らぬ顔で缶を傾けている。

「見てわからんか? 朝の一杯を楽しんでる」
「ミーティング、サボりましたね?」
「サボったとは人聞きの悪い。たまたまここへ来たとき、すでにミーティングが始まっていた。だから俺は邪魔しないようにここで、こうして、コーヒーを飲むことにした。ただそれだけだ」
「……つまり、遅刻したんですね」

 谷本は無言で頷いた。

「おかげでミーティング中ずっとヒヤヒヤしましたよ。新田さんは、なぜかずっとこっちを睨んでるし。きっと谷本さんが一人で何かしてるんじゃないかって疑ってたんですよ、あれ」
「そうか。そいつは悪かったな。じゃ、行くか」

 たいして悪びれた様子もなく、谷本は缶をごみ箱に捨てた。

「行くって、今度はどこに?」

 しかし谷本は答えず、さっさと駐車場に行くと車に乗り込んでしまった。仕方なくアリサも助手席のドアを開ける。このままここにいると新田に何を言われるかわかったものではない。それならば、まだ谷本と行動した方が気が楽だ。そう思ってしまう自分にアリサは心の中で苦笑した。

 なんだか憂鬱なアリサの気持ちとは裏腹に街は明るかった。嫌味なほど爽快な青空が広がっている。通りを歩く人々も、どこか穏やかな様子だ。そんな街を、車は珍しく制限速度を守りながら走っていく。無言でハンドルを握る谷本は、いまだにどこへ向かっているのか言おうとしない。アリサは答えを期待せず「……どこに向かってるんですか?」と尋ねてみた。

「ん? ああ。スーパーだ」

 思いがけぬ答えが返ってきた。聞き間違いだろうかと思い、もう一度どこへ向かっているのか尋ねると彼は面倒くさそうに「だから、スーパーマーケットだよ!」と答えた。

「スーパーって……。何か買うんですか? 今日のお昼とか」
「んなわけねえだろ。昨日の夜、黒沢から連絡があったんだ。ミライを見たって」
「スーパーマーケットで?」
「らしいんだが。あいつが言うには、彼女に声を掛けようとしたら店のセキュリティーが誤作動して店内は大混乱。見失ったんだと」
「それで確かめに?」

 疑わしげに聞くアリサに、同じく疑わしげな表情を浮かべて谷本は頷いた。

「俺もよくわからんのだが、とにかく黒沢がうるさいんで一応な。きっと見間違いだろ。ったく、めんどくせえ」

 やがて、乗り気ではない二人を乗せた車は小さなスーパーマーケットの駐車場に到着した。

「ここですか?」
「ああ」

 やる気のなさそうな返事をしながら谷本はスーパーの入り口へ歩いて行く。そこは個人経営の小さな店舗だった。シャッターには臨時休業の貼紙がされている。訪ねたアリサたちを店主は素直に迎え入れてくれた。通された部屋は警備室らしく、防犯モニターがずらりと並んでいた。警備システム会社にも加入しているようで壁にステッカーが貼られている。

「それで? 昨日の夕方でしたか。一体何が起こったんですか」

 椅子に腰掛けた谷本が店主の男に問う。アリサはその横で部屋の様子を眺めていた。

「いや、私にも何がなんだかわからないんですよ。火事でもないのに突然警報が鳴ったかと思うと、スプリンクラーが作動して店中が水浸し。かと思えば警備システムが作動してシャッターが閉まってしまい、お客さまが閉じ込められて大パニックです」

 店主は頭を抱えてうつむいた。

「おかげで商品は売り物にならなくなって、大損害ですよ」
「警報やシステムが誤作動した原因は?」
「わかりません」

 店主は力無く首を振った。谷本は頭を掻きながら小さく息を吐く。

「えー、それじゃあ……。とりあえずその時の映像見せてもらえますか?」
「あ、はい」

 店主はボードを開いた。ボードと店の防犯システムが繋がっているのだろう。彼が音声入力で日付と時間を指定すると並べられたモニタに映像が流れ始めた。複数のモニタが同時に再生を始めたので、どこを注視したらいいのかわからない。アリサは一歩後ろに下がってそのモニタ全体を見つめることにした。
 再生されている映像はどこにでもあるスーパーの日常風景。買い物客が品物を選ぶ姿が映されている。やがて映像が一瞬乱れたかと思うと、降り注ぐ水から逃げ惑う客の姿が映し出された。

「あの、ちょっと戻してもらっていいですか?」

 アリサは何かを見つけた気がして店主に頼んだ。一瞬のことでよくわからなかったのだ。

「なんだ?」

 谷本が不思議そうにモニターを見つめている。

「ああ、ここでいいです」

 言ってアリサは右端のモニタを指差した。

「このモニタを見ててください」
 それは店の出入口を映したものだった。

「何が映ってんだ?」
「もうちょっとです。あ! そこで止めてください」

 店主は慌てて映像を一時停止した。

「ほら、これ」

 アリサが指差す先には店から走り出ようとしている一人の少女の姿がある。

「あっ! こいつ、ミライじゃないか?」
「似てますよね。雰囲気は全然違うんですけど」

 そのミライと思われる少女は、二人が会ったときとはまったく趣味の違う服を着ており、髪も脱色しているようだった。さらにその腕にはボードと店の商品と思われるパンやジュースが抱えられている。

「……ひょっとして、万引き?」

 アリサは呟く。すると店主が諦めたようにため息をついた。

「こういう時に悪知恵が働く奴がいるんです。この子はまだいいほうです。安い商品ばかりですから。他にもいくつかやられましたよ」

 谷本はもう一度モニタの少女を見た。何か考え込んでいるようだ。

「たしかにミライなんだが、なんか違うよな。外見以外に。なんだろうな?」

 アリサもその違和感を感じていた。じっとモニタに映る少女を見つめ、そして気づいた。

「……ボード」
「あ?」
「この子が持っているボードですよ」
「これが、どうかしたか?」

 谷本は目を細めて少女が持つ小さな携帯端末を眺めた。

「違います」
「だから、何が?」
「ミライが持っていたものと違うんですよ」

 それを聞いてようやく谷本も気がついたようだ。

「そういや、ミライが持ってたのはこんな色じゃなかったよな」

 ミライが持っていたボードは赤。しかし、そこに映っているボードの色は黒だった。

「さらに言うと、この映像の子はわたしたちが会ったときより髪が短いですね。色も違いますけど」
「つまり別人か? いや、変装ってことも考えられるか。髪型や色くらい、いくらでも変えられる。いや、しかし――」
「ちょっとセキュリティシステムを見せてもらっていいですか? 誤作動の原因を調べたいんですが」

 一人考えを巡らす谷本をおいて、アリサは店主に聞いた。

「ええ、どうぞ。こちらに操作盤があります」

 店主は言って事務室の奥へアリサを案内した。そこには一昔前のタイプの固定端末が置かれてあった。機能はボードとあまり変わりないが、音声入力ができないうえ場所をとるので今ではあまり使う者はいない。アリサもそれを見るのは久しぶりだった。

「古いですね……」

 思わず呟いた言葉に店主は苦笑する。アリサはキーボードを使って警報システムを開くと誤作動した時刻の情報を呼び出した。

「これ……」
「なにか?」
「侵入されてますね。このシステム」
「ええ? そんな……。だって最新のソフトを入れたばかりなんですよ」

 店主は驚きに目を見開いている。

「これは外部から誤作動を起こされたんです」
「故意的にってことか」

 唸るような谷本の声にアリサは頷いた。

「でも、このシステムに侵入するのはかなり難しいと思いますよ。警備システム会社と契約しているのなら、侵入を試みた時点で感知されるはず。システム会社から連絡は?」
「いえ。こちらから連絡するまで向こうは何も知りませんでした」
「つまり、このシステムにハッキングした人は警備会社のシステムも操作してた可能性がありますね」
「一度に二つのシステムを動かしたってことか? できるもんなのか?」
「できないことはないでしょうが、そう簡単にできるとは思えませんね。――もしかするとわたしの端末データを消した人と同一人物かもしれません」
「……ミライが?」

 二人は沈黙した。

「あの?」

 不安そうな表情で店主がこちらを見てくる。

「ああ、失礼。この件につきましては、こちらで責任持って捜査させていただきます」

 谷本が言うと、店主は「よろしくお願いします」と深々と頭を下げた。


「本当に調査するんですか?」

 車に戻ったアリサは眉を寄せながら谷本を見た。彼は「まさか」と首を振る。

「あれは俺の管轄じゃねえよ。あの主人もちゃんと警察に届けを出してる。あとは担当の奴がやるさ。情報だってちゃんと担当の奴に渡してやるよ」
「それならいいですけど……」
「ああ。さて、とぉ?」

 アクセルを踏もうとした谷本が、いきなり素っ頓狂な声を上げた。

「なんですか、変な声出して」
「いや、だって、あれ見ろよ」

 谷本は言って後ろを振り返った。アリサも振り返ってみると、なんと駐車場に新田が立っているではないか。彼は無表情にこちらへ近づいてくる。沸いてくる嫌な予感にアリサは谷本と顔を見合わせる。新田は窓を軽く叩くと、出て来いと手を振った。谷本が軽く肩を竦めてドアを開けたので、仕方なくアリサもそれに続く。

「お前もついに仕事をサボることを覚えたか」

 谷本は皮肉な笑みを浮かべる。しかし新田は無表情に「僕は与えられた任務を遂行していますよ」と答えた。

「ほう。それはあれか。俺たちの監視役ってやつか」
「いいえ。違います」
「じゃあ、何ですか?」

 尋ねると、新田はスーパーへと視線を向けた。

「今、お二人は担当ではない事件の捜査を行いましたね?」
「さて、なんのことだか」

 谷本は薄ら笑いを浮かべておどけるように肩を竦める。新田の鋭い視線がこちらへ向けられ、アリサは思わず目を逸らした。新田はボードを取り出し、動画データを再生させてアリサたちに見せてくる。そこにはあのスーパーでのやり取りが記録されていた。どうやら警備室に設置されてある防犯カメラの映像のようだ。

「なんだ、これ。盗撮か」
「違います。許可を得て、防犯システムのデータを入手しただけです。これで言い逃れはできませんね。島本さん、あなたは職権を利用してこの店のシステムに侵入しています」

「それは……。でも、ちゃんと店主の了解は得ましたし」
「お二人もご存知だとは思いますが緊急時を除き、指示されたこと以外で警察官の権力を行使してはいけません。もしそれを行った場合は厳罰の対象になります」
「あれが緊急ではなかったという証拠は?」

 谷本が威圧するような低い声で言う。すると新田はボードを谷本の目の前へと押しやった。

「これが、その証拠です。お三方、椅子に座ってのんびり話しておられる。緊急性はまったくみられませんね」

 たしかにそこに映る三人の姿は音声がなければのんびりと世間話でもしているかのように見える。これ以上、言い逃れはできそうにない。

「まあいいだろう。で? どうするってんだ。お前の任務ってのは何だ?」
「あなた方を拘束します」
「は?」

 アリサと谷本の声が揃った。新田はボードを閉じ、谷本の車を不潔な物でも見るような目つきで眺める。

「この車はあとで回収させますので、僕の車に乗ってください」
「拘束ってどうするんだ」
「署に戻り、取調べを受けてもらいます」
「取調べだと?」

 谷本の表情が険しく豹変した。先ほどまでのおどけた様子はもはやどこにも見られない。戦闘モードに突入、といった感じだ。

「何を取り調べるってんだ?」
「あなたが何を調べているか、ですよ。さあ、乗ってください」

 新田は自分の車へと歩き出す。抵抗しても自分に有利となることはないと判断し、アリサも仕方なくその後に続く。しかし谷本はその場から動こうとはしなかった。

「谷本さん、これ以上世話を焼かせないでください。抵抗するようなら、島本さんにも迷惑がかかると思いますが」

 迷惑ならすでにかけられている、とアリサは心の中で呟く。しかし彼の言う『迷惑』とはおそらく違う意味なのだろう。谷本は眉間に皺を寄せて新田を睨んでいたが、やがて諦めたようにため息をついて歩き出した。

「谷本さんは助手席、島本さんは後ろに乗ってください」

 新田はそう言うと運転席に乗り込んだ。指示された通り、後部座席に乗り込みながらアリサは車内を眺めた。きれいに掃除され、余計なものは何一つない。ダッシュボードの上に簡易型空気清浄機が設置されているのを見て、アリサはホッと息を吐く。久しぶりに安心して車に乗ったような気がする。車はエンジン音もなく、静かに走り出した。

「お前は公用車使ってんだな」

 谷本が不機嫌そうな声で言う。それに新田は愛想もなく「ええ」と答えた。

「公用車だとエネルギー代も経費で落ちますからね。私用車を持ち込んで無駄な金を使う必要なんてないでしょう」

 谷本はブツブツと悪態をついていたが新田はまるで相手にせず、静かに車を走らせていた。

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