白い月に歌は響く 第二章②
「なんだこりゃ……」
それが被害者の自宅についた谷本の第一声だった。停めた車の中から見えるのは空き地。被害者の自宅どころか、建物すらない。
「なあ、住所間違ってるんじゃないのか?」
車から降りながら谷本は眉を寄せる。
「いえ、そんなはずは……」
アリサはボードを取り出してデータの確認をする。やはり住所は間違っていない。この場所だ。
車から降りて空き地を見渡してみる。隅の方に瓦礫が放置されていた。
「一応、建物はあったみたいですよ」
言いながら空き地の中に入ると、その中央部分の地面が黒く変色していた。まるで焦げているように。
「これは……」
「火事だったみたいですね」
後ろから声がした。振り向くと捜査員の新田が無表情に立っていた。
「珍しいじゃねえか。お前が自分の足で歩いてるとは」
谷本は皮肉を込めて言ったのだろうが新田は涼しい顔で「そうですか」と受け流す。新田は主に情報収集が専門で、署のデータ室で過ごすことが常だった。
「ま、僕も外に出たくはなかったんですけど、今回の被害者は家族がいませんでね。情報を集めるにしても必要なデータが揃わなかったので、取りにきたんです」
「へえ、そりゃ無駄足だったな。ご覧のとおり、何も残ってやしねえ」
「そのようですね。なので、僕は戻ります。お二人はがんばって任務を遂行してください」
まったく心のこもっていない口調でそう言うと、彼はさっさと車に乗って行ってしまった。
「なんだありゃ。ほかにもデータ収集できそうな場所を探すとかしねえのか」
「仕方ないですよ。だって新田さんの指示には、被害者の家からディスク等を持ち帰り分析すること、としか書かれてませんから」
「なんでわかるんだ」
「ここに、そうあります」
アリサはボートを谷本に見せた。凶悪犯罪課専用回線に繫がったボードは、捜査員たちへの指示がリアルタイムに更新されている。
「で、お前は課に繋げて何をしようとしてるんだ?」
「ええ。ここの火事について調べようと思って」
アリサは署に保存されている報告書の検索画面を表示させ、この空き地の住所と火事をキーワードに調べてみた。ヒットした報告書は一件。
「三日前に家事があったみたいですね。アパートが全焼。出火元は不明。不審火の可能性あり。五人の負傷者がでてます」
谷本もボードのモニタを見る。
「放火の疑いがあるのなら、犯人がやった可能性もあるわけだ」
そう言いながら谷本は顎を撫でた。アリサは頷きながら「でも」と首を傾げる。
「どうやって被害者の仕事内容調べます?」
「フリーだから会社もないしな。ああ、お前、その便利なもん持ってんだからネットで調べろ」
「被害者の名前で検索かけるんですか?」
「そうだ。ジャーナリストなんだから何か記事出してるだろ」
「なるほど。それもそうですね。本名で記事出してるといいんですけど」
検索を開始するとあっさりと記事を発見することができた。思ったよりも売れっ子だったようだ。谷本は顎に手をあてたままモニタを眺める。
「なんか、ジャンルがバラバラだな。一体何をしたかったんだ? こいつは」
アリサも眉を寄せる。谷本の言葉通り、被害者の記事には統一性がなかった。未解決の殺人事件であったり、芸能人のスキャンダルであったり、政治について、さらには人気カフェについてなど様々だった。
さらに検索を続けていると被害者のブログがヒットした。その内容は、今まで自分が書いた記事についてまとめたものが主だった。一番下には次回記事予告というコーナーがある。
『警察に隠された黒い秘密を今明らかに! 現在、命をかけて取材中』
「警察に隠された黒い秘密だぁ?」
谷本は眉を寄せた。
「何でしょうね? 一体」
「これを取材中に死んだってことか?」
「みたいですね。最後の更新が一ヶ月ほど前ですし」
「てことはあれか。警察関係者に犯人がいるかもしれないと?」
「それは……どうでしょうか。もしそうなら、捜査はすぐに打ち切られると思うんですが」
「まだ上に報告がいってないだけかもしれないだろ。……なあ、警察の黒い秘密っての調べてみろ」
アリサはボードを閉じた。
「どうした。聞こえなかったのか」
「わたしたちの仕事は被害者の仕事内容調査です。それは今の情報で十分だと思います。あとはレポートにして提出するだけです」
言いながら車へ引き返す。
「ったく、好奇心ってのを持ってないのかよ、最近の奴は」
後ろで谷本がぶつぶつと文句を言っていたが聞こえないフリをして助手席に乗り込む。
「んで? どこ行くんだよ、次は」
運転席に戻った谷本は、エンジンをかけるなりアクセルを踏み込んだ。機嫌が悪いせいか、いつもよりもさらに運転が荒い。
「そうですね。じゃ、図書館に」
急加速、急ブレーキが続く運転のせいで吐き気を覚えながらアリサは答えた。
「図書館? 何しに行くんだ」
「レポートを作るんです。図書館なら被害者が書いた記事が載っている雑誌もあると思いますから」
「んなの、ボードで見たらいいじゃねえか」
「さっき見たホームページによると、被害者の記事の中には電子出版されてない雑誌もあるようで。それもちゃんと調べてみないと」
「めんどくせえなぁ」
谷本はやれやれとため息をつく。
「あ、谷本さん、信号赤ですよ!」
アリサの声に彼はわかってるよと乱暴にブレーキをかけた。周囲に甲高いブレーキの音が鳴り響き渡った。
● ● ● ●
図書館に着いた谷本は、こちらのことなど忘れたように雑誌を探すアリサを眺めていた。いつの間にプリントアウトしたのか、彼女はリストを見ながら一冊ずつ取り出している。意外と量があるようだ。谷本はため息をつきながらソファに腰を下ろした。
静かな図書館に、ほとんど人の姿はない。貸出カウンターには自動レンタル機が設置されているだけで、昔のように貸し出し作業をする職員はいなかった。周りを見渡すとエプロンをつけた女性が数人、本を棚へと戻している。さすがに返却作業だけは機械化できないらしい。
そんな様子を眺めながら、谷本は落ち着かない気持ちで腕を組んだり、足を揺らしたりしてみる。昔から図書館という場所が苦手なのだ。この静かな空間、さも声を出すことが非常識であるような雰囲気がたまらなく嫌だった。しかし、ここでただ座っているわけにもいかない。アリサを手伝おうかとも思うのだが、この本の山から一冊ずつ目的の物を見つけだすほどの集中力が、自分にあるとは思えない。どうしようかと時計を見ると昼を少し過ぎていることに気がついた。
「なあ、おい。昼飯にしないか? もう十二時過ぎてんだ」
「いえ。わたし、お昼は食べませんから。お一人で行って来てください」
振り向きもせずに彼女は答える。
「そうか。じゃあ、行ってくる」
谷本は素直に頷くと、さっさと図書館から出て行くことにした。
○ ○ ○ ○
アリサは谷本を見送ると雑誌探しを再開した。昼食を食べないというのは嘘だ。しかし、先ほどの車の揺れのせいで、今はとても食べられる状態ではない。とにかく今は雑誌を探しだすことに集中しようと本棚に目を凝らした。
二時間ほどかけてリストにあるほとんどの雑誌を見つけだすと、あとはレポートを作るだけだとボードを開く。谷本がまだ昼食から戻ってきていないが、深く考えないことにしてキーボードを叩き始めた。
雑誌名や記事の内容、掲載された日付などをすべて打ち込んでいく。この打ち込みの作業がアリサは一番好きだった。ほかに何も考えなくてもいい。誰かと話をしなくてもいい。ただ集中して早く文字を打てばいいだけだ。データ打ち込みの仕事に就けばよかったといまさらながらに思う。
しばらくしてボードからアラームが鳴り響いた。ハッと我に返って時刻を確認すると五時を表示している。
「今日はここまでだな」
すぐ後ろから声がして、アリサは驚きながら振り返った。
「谷本さん。いつからそこに?」
「いつからって、一時間ぐらい前か」
谷本は飄々とした様子で言う。
「一時間――。それまでは何してたんですか」
「昼飯を食って寝てた」
「勤務中に昼寝なんて……。職務怠慢ですね」
「んなこと言っても、することなかったし。ま、いいじゃねえか。帰るんだろ? 送ってやるよ」
アリサは呆れながらボードを閉じると図書館を出た。
「レポート、できたのか?」
車を走らせながら谷本が聞く。浅くため息をつきながらアリサは首を横に振った。
「あと少しですけど。明日にはできるかと」
「そんじゃ、この仕事は明日で終わりだな。次はもっとマシな指示がくるだろうよ」
「そうですか?」
「ああ、くるさ」
まるで根拠のない自信は、彼のどこから湧いてくるのだろう。よくわからない。
「今日はこのまま帰るんだろ。それとも一度署に戻るか? ちょっと時間かかるが」
「いえ、寮に帰ります。署には直帰するとメールしておきますから」
「あ、じゃあ俺のもついでに頼む」
わかりましたと答えながらアリサは課長のアドレスにメールを送信した。
谷本と別れたアリサは部屋に戻って一息つくと、少し早い夕食の準備を始めた。昼食をとれなかった分、今までにないほど空腹だ。アリサはキッチンで準備をしながらボードをスクリーンモードにして見える位置に置く。今日のニュースでは被害者の身元が判明したことを伝えていたが、他にたいした情報はないようだ。警察はマスコミにどこまでの情報を公開するのか、その基準をアリサは知らない。こうしてニュースを見て比較しようと思ったのだが、捜査状況が進まないことには比較にはならない。アリサは一人静かにスクリーンを見ながら、味気ないレトルトの夕食を食べ始めた。
☽ ☽ ☽ ☽
彼女はスクリーンを見ていた。夕方のニュース番組だ。その内容は、先週発見された遺体の身元がわかったというものだった。名前の上に顔写真が写し出されている。
――見たことがある。
彼女は思った。たしか、あの歌を作っている時にどこかで見た顔だ。彼女はさらに情報を求めてニュースを見続けた。
『職業 フリージャーナリスト』
アナウンサーはそれ以上被害者について詳しいことは言わず、事件について簡単な説明を始めた。遺体が発見された場所、殺害されたと思われる場所の地名を言っていたが彼女にはどこかわからない。しかし、事件現場として映し出された場所には見覚えがあった。
古い小さな神社の黒ずんだ鳥居。森の中。その先にある崖。そして海。
彼女は必死に思い出そうとした。彼女には、思い出したいことがたくさんある。いつもこうして思い出そうとするのだが、どうしても思い出せない。それでも、今度こそ思い出そうと記憶を探る。同時に、ひどい頭痛が襲ってきた。あまりの痛みに彼女は堪らず椅子から転げ落ちた。その拍子に机の上の花瓶が音をたてて倒れる。頭痛に苦しみながら、彼女は床に転がった花を見つめていた。
「どうしたの!」
慌ただしく入ってきたのは黒沢だった。その声が頭に響く。何を言っているのか分からない。黒沢の声に混じって、別の声が響くのを彼女は聞いた。
痛みに耐えながら目を開いたが、黒沢の姿しか見えない。彼女はまた目を閉じ、別の声に集中する。その声はこう言っていた。
『約束だよ。この歌が、もう一度聞こえるまでぜんぶ――』
穏やかで少し高く、子供のような声。彼女はその声になぜか安心して、身体の力を抜いた。頭痛が徐々に治まってきたのがわかる。ゆっくり起き上がった彼女を黒沢が支えた。
「もう平気かい?」
彼女は頷く。そして床に転がっていた花を拾って花瓶に戻した。水は必要ない。花は造花だった。
「病院に行ったほうがいいんじゃないかな」
彼女は首を横に振ると、スクリーンに目をやった。すでにニュースは次の話題に移っている。彼女はスクリーンを消してベッドに向かう。
「ああ、もう寝た方がいいよ。もし何かあったらまた飛んでくるから安心しておやすみ」
黒沢は心配そうな表情のまま部屋を出て行った。
彼女はゆっくりベッドに横たわると目を閉じる。痛みは引いてきた。さっきの声が、まだ頭に響いている。そして痛みを感じなくなった頃、彼女は何を思い出そうとしていたのかも忘れていた。
考えることをやめた彼女は、穏やかな気持ちで深い眠りに落ちていった。
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