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白い月に歌は響く 第三章③

 ピースホープセンターは敷地こそ狭いが清潔感のある小さな建物だった。子供が少なくなっても、孤児がいなくなることはない。国営の施設もあるが収容人数が極端に少ないため、民間の施設が多い。国営に入りきらない子供たちがここに収容されるのだ。対応に差はないので結局どこに収容されても同じことだと聞いている。
 入口でインターホンを押すと、すぐに返事があった。カメラ越しに、以前この施設にいた子供について話がしたいと警察手帳を見せると、あっさりドアが開いた。現れたのは六十代ほどの柔和な雰囲気の女性だった。小泉と名乗った彼女は、さっそく話を聞こうとする谷本をやんわりと制して、アリサたちを施設内へ招き入れてくれた。
 狭い廊下の両側には等間隔にドアが並んでいる。廊下を行く途中、談話室らしき開放されたスペースがあったが、子供の姿は一人もなかった。理由を聞くと、小泉は困った顔で「最近の子供達はあまり部屋から出てこないんですよ」と微笑んだ。

 案内された部屋は応接室なのだろう。促されるままソファに腰掛けると、小泉が紅茶を入れてくれた。

「それで、どういったお話でしょう? 確か、以前ここにいた子についてでしたよね」

 香りのよい紅茶を飲みながら小泉は穏やかに口を開く。

「ええ。ミライという名の少女なんですが、分かりますか? 名字もわからないんですが」

 谷本は小泉の目をまっすぐ見つめている。一つの嘘も見逃さないといった感じだ。しかし、彼女はその名を聞いた途端、隠すわけでもなく懐かしそうに微笑んでみせた。

「ええ、ええ。よく知ってますよ。ここは働く職員が少なくて、大低の子はほとんど私が面倒見てるんですよ。といっても最近の子は手が掛からないので、学習開始年齢を過ぎるとほとんど食事の世話だけといった感じなんですけどね。でも、あの子のことはよく覚えています。なにしろ不思議な子でしたから」

 谷本は手帳を取り出した。

「話してもらえますか?」
「ええ。あの子は椎名ミライと言うんです。私が考えてつけた名字で、正式な登録はしていませんけど。椎名は私の旧姓なんですよ」

 谷本は手帳にメモを取りながら頷いている。

「それで?」
「あの子がここへ来たのは、まだ本当に小さな頃でした。生年月日がわからないので正確な年齢はわかりませんが、おそらく三歳か四歳ぐらいだと思います。彼女はここに来た頃からよく歌ってたんですけどね、その歌が不思議なんです。一定の期間ごとに歌が変わるんですよね。それも流行りの歌じゃなくて、多分、自分で作った歌。あの子、スクリーンなんて全く見なかったから」
「そんな小さな頃から歌を作っていたんですか?」
「ええ」
「あの、もう少し詳しく教えていただけませんか。できれば彼女がどのような経緯でここへ来たのかという所から」

 小泉は「わかりました」と頷いた。

「今から十三年前、あの子はうちのセンターの前に立っていたんです。泣きもせず、ただ無表情にずっと……。最初に気付いたのは私なんですけど、しばらくは誰かを待ってるのかなって思ってたんです。でもいつまでたっても誰も現れないから話し掛けてみました。『お母さんは?』って。するとあの子は首を横に振るんです。誰か待ってるのかと聞いても首を振るだけで何も言いませんでした。それで『お家わかる?』って聞くと持っていた鞄からボードを取り出して文字を打ち始めたんです。三、四歳の子がすごいスピードでキーボードを打ったのでとても驚いたのを覚えています。そして見せてくれた画面には『家はない。親もいない。行くところがない』って書かれてたんです。それでうちで引き取る手続きをしたんですよ」
「彼女のミライという名前は? あの子が自分で名乗ったんですか?」

 谷本の問いに小泉は首を横に振った。

「いいえ。彼女は歌うんですが話はしませんでした。名前は端末に登録されてたんです。名前が必要だって言うと見せてくれて」
「そのとき住所は一緒に登録されてなかったんですか? 名前と住所と生年月日の登録が義務づけられていたはずですが」
「それが、ミライという名と端末番号しか……。当時はまだボードが普及し始めた頃でしたから、きっと登録ミスだったのでしょうね。他のことは深く聞きませんでした。子供でしたし、孤児の多くは心に傷がありますからね。そして、その日から去年までここにいたんです」

 小泉は穏やかに微笑んだ。

「会話を交わすことは一度もありませんでしたが、意思の疎通には何の不自由もありませんでした。あの子はとても頭がよかったので……。ああ、でも去年、歌手になると聞いた時には正直心配でしたね。今も昔もああいう世界は怖いところだと聞いていましたから。でも事務所の方がとても理解のある方で、ミライを一切テレビなどには出さないと約束してくださって。それで保護者として契約書にサインしたんですよ。そうしたら、いつもほとんど表情を変えないあの子が笑ったんです。嬉しそうに。あの子の笑顔を見たのはあれが初めてでしたよ」

 小泉は嬉しそうに笑ったが、すぐに寂しそうな表情を浮かべる。

「あれから会っていません。ただ、毎月お給料をうちのセンターに少し入れてくれてるんですよ。『そんなことしなくていいよ』ってメールで送ったんですけど『お世話になったから』って。正直、助かってるんですけどね」

 谷本は相づちを打ちながら手帳にペンを走らせている。

「話せないということで、医者に見せたりは?」
「しませんでした。本人が嫌がりまして」
「そうですか。では、あともう一つだけ」

 谷本は座り直して少し身を乗り出した。

「彼女の歌なんですが、その、なんていうか、どういう風に作っているかとかわかりませんか?」

 すると小泉は「私もね――」と首を傾げた。

「何度か聞いたことがあるんです。大低は首を振るだけだったんですけど、ある日一度だけ答えてくれたんです。もちろんボードに文字を入力して」
「それで、なんと?」

 小泉は少し間を置いてからゆっくりと答えた。

「夢でみるの、と」


 アリサ達はセンターを後にした。別れ際、小泉は「またいつでもお越しくださいね」と温かな笑顔で見送ってくれた。

「夢、か」

 車を運転しながら谷本は呟いた。

「どういうことですかね?」
「分からんな」

 夢で見る。夢でメロディーが鳴っているということだろうか。そこからヒントを得て曲を作っているのか。

「とにかくもう一回、あの沈黙の歌姫に会ってみるか」
「そうですね。収穫があるかどうかわかりませんが」

 そのとき、アリサのボードがメールの着信を知らせた。課長の森田からだ。

「なんだ。仕事復帰のメールか?」

 谷本は自嘲気味に笑う。

「いえ。署のほうに谷本さんとわたしが所属しているかどうか確認の電話があったそうです」
「確認? 誰から」
「決まってるじゃないですか。黒沢さんですよ」
「なに、あいつが? ……まさかバレてないよな。俺が謹慎中だって」
「大丈夫みたいですよ。ちゃんと所属してることを確認したらすぐに切れたそうですから」
「あいつ、わざわざ名乗ったのか? 確認するだけなのに」
「さあ。でもボードからの通信は警察のシステムで名前がすぐわかっちゃいますから。で、お前達は芸能事務所で一体何をしているんだ、とメールがきてますが」
「バレちゃいないんだな、捜査のことも。だったら適当に言ってくれよ」

 アリサはため息をつきながらメールを返信した。

「……なんて送ったんだ?」
「だから、適当ですよ」
「だから、その内容を聞いてんだよ」
「谷本さんがそこの事務所に所属しているタレントのファンで、会いに行った時に通したIDの確認だと思いますって」
「はあ?」

 谷本は急ブレーキで車を停めた。アリサは危うく頭をぶつけるところだった。

「なんで俺なんだよ。歳を考えろ。普通、ファンだとかそういうのはお前の年頃のが合ってんだろうが」
「だって、わたしは谷本さんについていってるだけなんですよ。監視のために。なのにわたしの意思で動いてるっていうのはおかしいじゃないですか」
「だからってお前、俺はもう四十八だぞ。四十八のおっさんがタレントに会いに事務所まで行くって……。めちゃくちゃイタい奴だぞ。下手したらストーカーじゃねえか」

 そのとき、ちょうどメールが返ってきた。

「あ、そうですね。課長からストーカーにならないように気をつけろって」

 谷本は頭を抱えた。

「マジかよ。署内で一気に俺は変態扱いだ」

 谷本は泣きそうな表情で睨んできたが、アリサは素知らぬ顔で外を眺めていた。


☽ ☽ ☽ ☽


 あの二人の刑事が帰った後、何か頭にひっかかる事があった。しかし、わからない。彼女は何度目かのため息をついた。

 ――どうやって歌を作ったのか。

 前にも聞かれた事があった。たぶん、まだとても幼かった頃に。そのときはなんと答えたのだろう。外に目をやると、すでに陽は落ち、暗闇が広がっていた。再び思い出そうと集中すると鈍い痛みが頭を刺激する。

 ――また。

 彼女は思った。思い出そうとするほど頭痛はひどくなるばかりだ。考えるのをやめようとしたそのとき、机に置きっぱなしにしていたボードから聞き覚えのあるメロディが流れてきた。

 昔、誰かと歌っていた童謡だ。

 そう理解した瞬間、頭痛が一気に引いた。まるで、光で照らされたように記憶がはっきりとしてくる。彼女はボードを開いた。メールが届いている。

 ――行かなくちゃ。

 瞬間的に彼女は思った。ボードだけを持ってドアを開く。向こう続く、長い廊下。彼女は迷うことなくエレベーターに乗り込んだ。

 ――夢で見た。

 あのとき自分はそう答えたのだ。ボードに打ち込んで、そう答えた。ああ、そうだった。彼女は微笑んだ。

 ――思い出した。

 ビルから外へと出た彼女は自然と駆け出していた。一年ぶりの外。ここがどこなのかわからない。それでも走り続ける。行かなくてはいけないから。

 頭の中では懐かしい声が、彼女を呼んでいた。

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