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白い月に歌は響く 第五章③

 非常ベルは一向に鳴り止む気配はなく、アリサたちが正面出入口に着くころにはなぜかスプリンクラーまで作動してしまい、辺り一面水浸しになっていた。署内は荷物や資料を水から守ろうと四苦八苦している者や避難しようとしている者たちで軽いパニック状態に陥っている。

「お前、ひでえことするな。これじゃ後片付け大変だろうに」

 外に出てから谷本がボソリと呟いた。アリサ自身、まさかスプリンクラーが作動するとは思っていなかったのだから仕方ない。あの非常ベルがどのシステムに繋がっているのか調べる余裕もなかった。

「ただ電子ロックが解除されるだけだと思ってたんですが」

 アリサの言葉に谷本は「ふうん」と笑みを浮かべた。

「俺を助けるためにか?」
「ええ」

 素直に頷くと谷本は黙り込んでしまった。不思議に思いながら彼の顔を見る。

「お前にしちゃ、大胆な行動だったな。まあ、お陰でこうして外に出られることもできたし」

 谷本が何を伝えようとしているのかよくわからず、アリサは首をかしげる。

「あー、何でもねえ。行くぞ。俺の車、どこだ?」
 谷本は頭を掻きながらそう言うと駐車場へ足早に行ってしまった。アリサはもう一度振り向いて、あたふたする署員たちに頭を下げてから谷本を追いかけた。
 谷本の車は駐車場の一番奥のスペースに停められてあった。

「車のキーはついてないんじゃないですか?」

 おそらくどこかで鍵は保管されているはずだ。しかし谷本はポケットからリモコンキーを取り出した。車のランプがチカチカと点滅し、ロックが外れる音がする。

「あ、まさかそれ新田さんから盗んだんじゃ……?」
「これはスペアだよ。キーってのは予備がついてるもんだろ」

 なるほど、とアリサは納得すると急いで助手席に乗り込んだ。谷本も素早くエンジンをかけると一気にアクセルを踏み込む。タイヤが滑る音を響かせて、車は駐車場を走り出た。
 
「今回の件、後々問題になるだろうな。無茶なことしやがって」
「だって、あのままだとずっと拘留されたままじゃないですか。ミライの件を中途半端に終わらせることはしちゃダメだと思って。一度やり始めたことは最後まできっちりとやらないと」

 すると谷本は声をあげて笑う。

「そうか。そういう妙な方向に潔癖なのはいいと思うぞ」
「妙な方向? どういう意味ですか」
「いや、いい。気にすんな」

 なんとなく馬鹿にされた気がして眉を寄せながら、アリサはボードを開いた。凶悪犯罪課のページに入り、捜査員たちへの指示を確認する。もしかすると今の出来事がすでに報告されているかもしれない。そう思ったのだが、そこには予想外の表示があった。

「なんだ? 何かあったのか」

 じっとモニターを見つめていると谷本がこちらを気にした様子で聞いてきた。

「新田さんへの指示が出てるんです」
「新田に? 俺たちを逮捕しろって? もう報告がいったのか」

 苦々しく言う谷本にアリサは首を横に振った。

「それが違うんです。新田さんには幹部殺害事件の情報収集を行うようにと」
「情報収集? どういうことだ……? 新しく指示が出たってことは、俺たちが逃げ出したことがわかってるってことじゃないのか」
「そうだと思うんですが――」

 突然アリサのボードがメールの着信を告げた。谷本は車を路肩に停めるとハザードランプを点ける。気になって運転に集中できないのだろう。メールは今井からのものだった。

「なんて書いてる?」

 谷本がモニターを覗き込んでくるので、アリサはボードを谷本に向けてやる。

『あとのことはうまくやっておきましたからご心配なく』

 それだけが送られてきていた。谷本は顎に手をあてて考えていたが、やがて目を丸くしながらアリサに視線を向けた。

「もしかして新田への指示ってこいつがやったんじゃないのか?」

 たしかに捜査員へ指示を出すだけならば、さほど厳重なセキュリティがかけられているわけではない。ページにアクセスでき、ボード操作が得意であればおそらく可能だろう。今井はずっと凶悪犯罪課の部屋で仕事をしていたのだから、もしかすると課長のIDとパスワードを手に入れる機会があったのかもしれない。

「今井さん、システム部志願だって言ってましたから、もしかするとそうかもしれませんね」

 谷本はそうか、と呟くと運転席の背にもたれて笑う。

「あいつ、若いくせにほんと変わった奴だな。自分とは関係ないことで危ない橋渡るとは」
「ほんとですね。信じられないです。わたしなら絶対にしません」

 アリサの言葉に谷本が驚いた表情を浮かべる。そんな彼にアリサは小さく笑みを浮かべる。

「今度、二人で彼女の話を聞いてあげないといけませんね」

 谷本は少し嫌な顔をしたが、小さく息を吐いて頷いた。

「しかし、ボードで位置を監視されてるんじゃ自由に動けないな」

 たしかに、妙な動きをすれば再び拘束されるかもしれない。

「じゃあ、GPS機能を無効にしましょう」
「そんなことできるのか?」
「まあ……。だけど、今後ボードの機能が制限されてしまうので捜査に支障がでてくるかもしれませんが」
「たとえば?」
「ナビが使えません。あと、警察のデータベースにアクセスできなくなりますね。端末情報が不足しているということでブロックされます」

 谷本は小さく唸るとフッと息を吐くようにして笑った。

「別にたいして情報が得られるわけでもないし、いいんじゃないか? ナビだって、地図があればなんとかなるだろうし」
「そうですね。では」

 アリサはボードの設定を変更し、谷本に片手を差し出す。

「なんだ?」
「谷本さんのボードも貸してください」
「あ、ああ、そうか」

 谷本からボードを受け取ると素早く設定を変更する。

「これでもう邪魔は入らねえな。俺たちの悪事がバレないうちに、さっさとミライを探しちまおう」

 満足そうに谷本は言う。そしてハザードランプを消してアクセルをゆっくりと踏み込んだ。二人を乗せた車は法定速度を守りながら再び走り出した。


 国道を走っていると何台ものパトカーと行き違う。そのたびにアリサは身を硬くして赤く光るランプを見送っていた。

「いつまでもビクビクすんなって。ここまできたら腹決めてドンと構えてろ」
「そんなこと言われても……」
「バレたときは俺がなんとかしてやるって」
「本当に頼みますからね」

 念を押すと谷本は笑いながら頷いた。あまり信用できない。アリサはため息をつきながら「どこへ向かってるんですか」と尋ねた。

「スーパーだ」
「ミライらしき人物が目撃された、あのスーパーですか?」
「ああ。周辺を探れば彼女を見た人がいるかもしれないだろ」

 たしかに彼女が歩きで移動しているとすれば目撃情報があるかもしれない。だが、聞き込みならば掲示板に書き込んで情報を得たほうが早いのではないだろうか。そう谷本に言うと、彼は「馬鹿か、お前は」と鼻で笑った。

「前にも言ったと思うがな、聞き込みってのは相手の顔を直接見て話を聞くことだ。ネットで聞き込みしたって、それが本当かどうかわかんねえ。それに、どう質問しようってんだ?」

 そう言われて確かに質問の仕方が難しいと気づく。万引きした少女を見なかったかと聞けば漠然としすぎているし、かといってあの防犯カメラの画を貼り付けることはプライバシーの問題となる。

「だろ? なら直接その辺にいる奴に聞き込むしかないじゃねえか」

 アリサは納得するしかない。しかしその直後、谷本は急にハンドルを切ったかと思うと反対車線に入った。突然のUターンにスリップ音が響き渡る。アリサはダッシュボードと窓に手をあててなんとか踏ん張ると「ちょっと、谷本さん!」と抗議の声をあげた。

「危ないじゃないですか! これじゃ交通違反で捕まってしまいますよ!」
「今、パトカー走ってねえから平気だろ。それより――」

 谷本は目を細めて前方を睨むようにして見据えている。

「あの車、森田が乗ってたような……」
「課長が? まさか。見間違いじゃないですか」
「いや、あれは確かに……。ちょっと追ってみるぞ」

 谷本が睨んでいるのは、黒いセダンタイプのよく見る車種だ。少し距離があるのでナンバーまで読み取ることはできないが、あの車種の公用車はなかったはずである。

「もし課長が乗ってても、今の派手なUターンでバレてるんじゃないですか?」

 少し嫌味を込めて言ったのだが、谷本は平然と「別に大丈夫だろ」と答える。その答えに根拠はないのだろうが、前を走るその車がまったく走り方を変えないので、やはり気づいていないのだろう。アリサは目を凝らして車を見つめたが、何人乗っているのかわからない。

「どこに向かってるんでしょうね?」
「さあな。この先は確か、昔の工業団地だよな」

 アリサはボードに地図を表示させた。GPSは使えないので走っている通りの名前で検索する。

「えーと、そうですね。もうすぐ再開発される予定地です」
「……んなとこに、いったい何の用だ?」

 谷本は呟きながら前を走る車を見つめた。二台の車が旧工業団地へ近づくにつれ、車の通りが少なくなってきた。

「そろそろまずいな。俺たち以外に走ってる車がない」

 谷本は苦々しい表情で呟く。その言葉にアリサも頷いた。

「他の車の後ろに隠れることもできないし、何よりこのタイプの車は目立ちますからね」
「……悪かったな。ボロくて」

 二人がそんな会話をしているうちに、森田が乗っていると思われる車は角を曲がった。それを追って谷本の車も角を曲がる。しかしその先に車の姿はなかった。

「なんだ、どこ行った?」

 車を停めて谷本は窓の外を見る。辺りに広がるのは人の気配など微塵もない古い工業団地だ。

「外、出てみます?」
「……ああ、そうだな」

 ドアを開けて外に降り立ったそのとき、どこからか破裂音が響いてきた。

「谷本さん、今のって……」
「しっ!」

 再びの破裂音。谷本は口元に人差し指をあて、黙って音の出所を探っている。アリサも同じように耳を澄ませた。しかし音は建物に反響してどこから聞こえたのかよくわからない。それでも谷本には分かったのか、弾かれたように走り出した。見る間に小さくなっていく谷本の後をアリサは必死に追いかけた。あの年齢であの運動神経は侮れない。あの年齢になっても毎日鍛えているのだろうか。なんとか谷本を追ってたどり着いたのは小さなビルの地下駐車場だった。

「た、谷本さん。本当にここ、ですか?」

 息を切らせてアリサは谷本に尋ねる。彼は涼しい表情をこちらに向けた。

「ああ。間違いない。見ろ」

 谷本は言いながら駐車場の中央を指差した。

「……あっ!」

 そこには黒いスーツ姿の男が仰向けに倒れている。死んでいるのだろうか。その男に駆け寄ろうとしたとき、カツンと背後で靴音が響いた。振り返った先には人影。地下であるため周りは薄暗く、背格好もよくわからない。

「谷本さん!」
「おう!」

 走り出す谷本から人影は慌てて逃げ出した。アリサはそちらの方は谷本に任せて倒れた男を確認することにした。近づいて顔を覗き込む。額に穴が開いている。確実に即死だろう。彼は両目を剥いたまま息絶えていた。アリサは眉を寄せて顔を背けると、一度深呼吸してから再び男の状態を確認する。

 年齢は五十代後半ぐらいだろうか、仕立てのいいスーツに身を包み、ブランド物の革靴を履いている。そのきっちり七三に分けられた髪型と、深い皺が刻まれた顔には見覚えがある。

「……たしか」

 呟きながらボードを開く。一般向けの警察ホームページから講演会のページを開く。そこにはどこかの街で行われた犯罪抑制についての講演会の内容が長々と書かれている。何枚かアップされている写真の一枚には壇上に立つ男の姿があった。男は威厳のある風格を漂わせ、渋い笑みを浮かべている。

「これで三人目、か」

 ため息をついて立ち上がると、谷本が走り去った方へ目を向けた。歩行者用の通路が地上へと続いている。谷本が戻って来る気配はなかった。


☾ ☾ ☾ ☾


 一方、谷本は地上へ出てすぐに人影を見失っていた。しばらく辺りを走り回ったが、逃げた人物は見つからない。

「ちくしょう!」

 吠えるように怒鳴ったとき、後ろに気配を感じた。振り返ると走り去ろうとする一人の男の姿がある。

「待てっ!」

 すかさず谷本は後を追う。その声に驚いたのか男が振り向いた。予想外に若い。その顔にはまだあどけなさが残っている。高校生ぐらいだろうか。彼は怯えたような表情で走っていく。

「待てって、言ってんだろうがっ!」

 谷本は全力で追いつくと男に体当たりをした。

「うわ!」

 悲鳴を上げて転倒した男の腕を谷本は即座に捻り上げる。

「よっしゃあ! もう逃げられねえぞ!」
「ま、待って。なんですか。なんでこんな」
「はあ? ふざけるな! 駐車場で人を殺しておきながら――」
「殺し? 僕が? 冗談。僕はただ人を探してここに来ただけだよ」
「ああ? じゃあ、なんで逃げた」
「逃げたんじゃない。こっちに人影を見たから。なのに、あんたのせいで見失ったじゃないか」

 谷本は力を緩めた。そういえば、たしかにさっきまで追っていた人物とは体格が違うように思う。

「なんだよ。ったく、まぎらわしい」

 谷本は舌打ちをして体を起こした。

「なんだよって、こっちが言いたいし。つうか、あんた誰?」

 服についた埃を払いながら彼は言った。谷本は警察手帳を見せる。

「俺は谷本だ。お前は?」
「警察かよ……。大貫タイキ、です」
「ID見せろ」

 タイキは素直にポケットからボードを取り出し、ID情報を表示させた。

 大貫タイキ 十八歳 私立高校三年 

「で? 誰探してたんだ」

 IDを確認して谷本は尋ねる。

「……女の子です」

 言いにくそうに彼は言った。

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