⑥マイ・シングルファザー ・ストーリー(3.11)
東日本大震災から見つけた「自身の価値」児童扶養手当の拡充を求めた非日常から、日常に戻り仕事と生活に戻ってからも、「子ども手当か・児童手当か?」の論争の際に父子家庭支援団体として参加したり、出来る事を地道に行なっていました。
そんな最中、あの東日本大震災が発生したのです。
当時、私は某県庁のヘルプデスクで仕事をしており、通勤は高速バスを使って1時間かけて通勤をしていました。しかし震災により高速道路は通行止め、電車はストップ、ライフラインはラジオかインターネットのみという状態