外伝:マイ・シングルファザー ・ストーリー(軽い話)
ちょいと話変えます。書いてて辛くなってきちゃったんで・・
こんだけシンドイこと続くと美談に聞こえますけど、ちゃんと人間ってのは、どっかでバランスを取るもので、当時は本当に色んな形で心のバランスを取っていました。
例えば、病院といえば綺麗な看護婦さん!女医さん!との会話が救いだったなぁ。。
とか
例えば、喫煙所の入院仲間との会話で人生勉強させられたなぁ。。
とか
例えば、小児病棟のママさん友達が出来て旦那の愚痴相談大会やって、看護師さんに怒られたりとか、あと惚れられて旦那とトラブルになったこともありました。
本当、色んな人の力と優しさに助けてもらって、退院したママさんが毎日弁当作って持ってきてくれたり、ケーキ焼いて持ってきてくれたり、怒った旦那と乗り込んできたり(笑
その後、喫煙所で旦那と和解して友達になったりエピソードは沢山あります。
ただねー。息子は血液の顔だけじゃなくて感染症にかかっちゃいけない状態だったから、個室でね。他の病室の子ども達と遊べなくてね。
ほとんど、私と遊ぶか、看護師さんと遊ぶか、看護師見習いさんと遊ぶか、女医さんとあそぶか、ある意味ハーレムな感じはして男としてはムフフだったり。
まぁ、とにかく心のバランスを取るわけですよ。
でも、夜中になると眠れなくてね。
インターネットに繋がらならパソコンを持ち込んでいたから、毎日日記を書いていたな。書いて、書いて、書きまくって感情を焼き付けるように書いてました。
あと夜中の病院を徘徊したりしてね。
長期の入院患者さん達は、夜な夜な病院の中をウロつくんですよ。
そして、近くのコンビニに一緒に脱走して、おでん食べたり、タバコ吸ったり。
今では良い思いでです。
だがだが、しかししかし、そこはやはり病院なんですよね。
人が死にます。または次の日に腕とか足無くして喫煙所きたりします。
小児病棟では何人の子どもの死を見てきたかなあ。
親御さん達の悲痛な嗚咽は今も耳から離れません。今でも当時の夢を見ることがあります。
でも、生きる子達もいてね。外来の度に安否確認が出来るとホッとしたりしてね。
でも、再発する子もいるから、戦々恐々でしたね。当時は。
今でさえそう。
外来の度に戦々恐々しますよ。10年以上たった今でも感覚は当時のまま。
ナイーブするかもしれないけれども、それだけ当時は本当に壮絶だった。
骨髄移植の時なんかは、無菌室ってところに入るんですよ。
一日中空気清浄機が回っていて、子どもに触るたびに手洗い、消毒、マスク、前掛け着用。コンクリートの押入れみたいなところですわ。
ガラス窓から見える景色もコンクリートでね。
なんとか、息子を安心させたくて、折り紙、ぬいぐるみ、ポスターをフルに使って無菌室をディズニーランド風にしたっけな。そうそう電飾もつけたりしてね。
その中で息子は外では生きられない状態で横になりながらディズニーのダンボやリトルマーメイドを見てるんですよ。無気力な、死人みたいな目をしてね。
背中を指すったり、テンションあげて声かけたり、親なんて何もできないもんです。
もう二度と同じ思いはしたくないし、するような子ども達が生まれて欲しくない。
そう祈るんです。願っちゃうんですよね。
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