①マイ・シングルファザー ストーリー(離婚)
ある日のこと
妻は出て行った。0歳の娘と1歳の大病を抱えた子ども達を置いて。
双極性障害の症状だったのだろう。
今、振り返ると思う。
私の友人と浮気をしており、私達の関係は終わった。
もちろん、乗り込んでやろうと家の前にも行った。
でも、入れなかった。
情けないだろ。でも殺すよりはいい。
そのかわり、自分を殺そうと富士の樹海へと向かった。
タバコを食べながら、眠剤を齧りながら。
でもね、一向に意識は朦朧ともしない樹海に近づくにつれ恐怖で引き返したくらいだ。
情けないだろ。
150キロ出てたのかな、走っていたらその内、死ねると思ってた。
でも突然、堪え難い疲労からインターを降りた。そして目の前の車に衝突。
それがさJAFの車だったってのが、冗談みたいな本当の話。
胃洗浄されたのは覚えている。
「殺してくれ、疲れたんだ、楽にしてくれ」泣きながら処置されてた。
覚えてるんだ。その時のこと。辛かった。
辛かったのは苦しいよりも生きるが辛かったんだ。
そしてね。目を覚ましたら病院のベットの上だったよ。
真っ白な天井を見上げて思った。
「ああ。死ねなかったのか」
そしてふとベッド脇を見ると母が座ってた。
母は言った「死ねなかったんだから、生きるしかないね」
「んー。そうだね」
布団を被って、声を殺して泣いたんだよ。
そしたらさ、ショートステイに預けてきた子ども達の匂いがしたんだ。
そしたら、いてもたってもいられなくなって。
点滴を自分で抜いて無理やり退院して子ども達を迎えに行った。
帰りの車の中はオペラ椿姫を再大音量でかけていた。
妻の好きなオペラだ。泣きながら走った。
山梨から仙台までノンストップで走った。
途中で喚きながら走った。
そうして子ども達を引き取って、今度は仙台から実家の八戸まで走った。
10時間走った。全く眠くならないし、全く集中力はきれなかった。
もう、その時には、ひとりで子ども達を育てる覚悟が決まっていた。
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