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②マイ・シングルファザー ・ストーリー(帰還・介護)

支援無きスタート

実家に帰ったのは8年ぶりだった当時23歳、俺は15で家出をして、16には東京にいたから。


入りにくかった。入った瞬間、爺さんから何しに帰ってきた。今まで申し訳ありませんでしたと頭を下げてから入るのが礼儀だろうと一括された。

俺は頭を下げた。変わらない実家の匂いに嫌悪感を感じながらも耐えるしかなかった。翌日、市役所へ児童扶養手当等の公的支援の手続きに行った。

「父子家庭の人はたいしょうじゃないんですよねw」
笑われながら言われたのを覚えている。

ああ。そういうものなのかと思った。

そこから、保育園の入園手続きをして仕事を探しにハローワークにいった。
全く仕事がなかった。ドライバー職ばかりで要経験者のみ。
仕方なく、ピザ屋の配達のバイトとコンビニの夜のバイトを始めた。

3ヶ月ほど過ぎた頃、事件は起こった。

祖父が脳梗塞で倒れたのだ。実家で車の運転を出来るのは俺しかいない。
必然的に介護や手続き病院との交渉、移動など全てを行う必要を迫られた。

そんな大変な中、息子の数週間に1度の深夜の原因不明の高熱は続いていた。
そして1週間入院して退院を繰り返す日々がルーチンワークのように毎月続く。

アルバイト先の人は良い人達で、そんな俺をクビにはしなかった。
本当にありがたい。人情ってこういうことなのかなって思った。

そして半年後、祖父はなくなった。
正直、ホッとした。息子の看病と介護とバイトの日々は精神を削っていくからだ。

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