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第14話 研修を終えて
あっという間の3ヶ月間。
とはいえ、間違いなくできることが増え、また、所作など職人としての「心構え」のような、目に見えない部分での学びも得、意気揚々と宮崎に戻った私。
しかし、その意気込みとは裏腹に、結果は全く逆でした。
なぜなら学んできたことが、一心鮨ではまったく通用しなかったんです。
それもそのはず。
研修をしていた栄寿司は13席の小さな店。
師匠と女将さんで切り盛りできる規模のお店でした。
ですが、一心鮨は60席という規模。
単純に席数だけでみて約4.5倍の差がありました。
それだけに、すべてにおいて異なっていたのです。
提供する料理は当然のことながら、仕込みの方法、スピード、扱う量。
それに職人の数に、スタッフの数といった店に携わる人数も。
その時にふと、修行に行きたいと言っていた私に、父が諭すように繰り返し言っていた事を思い出しました。
「東京みたいな小さなお店での修行じゃなくて、たくさんのお客様、
たくさんの魚に触れることができるここが一番良い。」
あの時父が言っていたことはこのことだったのか!
と、ここにきてやっと、実際にそのギャップを体感することで、意味がわかるとともに腹落ちしました。どれだけ父が説明してくれても
「立派な職人となって父を超えていきたい。それには実家を出て修行に行かないと上手くなれない。」
と信じて疑わなかった私には到底気づきもしない、もちろん理解なんてできるわけがない側面でした。それだけに、この意味がわかった時には、父がどれだけ自分の事を考えてくれていたのか、ということにも気づくことができました。
しかし、3ヶ月の研修で寺岡師匠から学んだ「美しい仕事」が身に付いていた私は、どうにか学んできたことを一心鮨で活かしていくことはできないか?と考え、その結果、コハダの仕込みを寺岡流で始めることにしました。
なぜコハダの仕込みに着目したかというと「仕上がりの美しさ」です。
当時の一心鮨も美味しかったのですが、寺岡師匠に教わったやり方だと、そこに「美しさ」を加えることができると考えたのです。
味付けは一心鮨流ですが、行程をとことん丁寧に、そして大切に行うよう心がけました。
「一心鮨のやり方と違うことをやりやがって!」
と叱られることもありました。仕込みも一心鮨のやり方より時間がかかってしまいましたが、それでも仕上がりが明らかに違うので、結果的には父にも喜んでもらえました。
学んだことを一心鮨の中に取り込みながら作業をする私に
「一心鮨のやり方と違うことをやりやがって!」
と叱る父ではありましたが、それでも少しずつ、やっている事を評価してくれてるようでした。特に締め物の仕込みを任されることになった時は非常に嬉しかったです。仕込み場にこもり、コハダや鯖と向き合う時間は、私にとって本当に楽しいものでした。
(ちなみに締めものとは、しめ鯖など、酢で締めたりするものを指します。)
そして、栄寿司の研修から戻って2年が過ぎようとする頃、
全国すし技術コンクール大会の県大会予選が開かれることを知りました。