寛容はヤヌスのような顔をしている
寛容の歴史
寛容という概念は、ヨーロッパにおいて、宗教改革から続く宗教と政治の対立の中で、政治哲学的言説の1つとなった。
最も活発に寛容について語られていたのは、この頃に・この辺りでだろう。
だが。「寛容の歴史」を知るには、もっと昔、古代にまで遡る必要がある。
キケロは、寛容は忍耐の美徳であるとした。不運や痛みや不正義に、適切かつ確固たる方法で耐えるという、美徳であると。
新旧や複数の分派によるぶつかりあいが起こるよりも、前のこと。そもそもは、以下のような考えが、初期のキリスト教の言説の中には、存在していた。
・内なる確信にもとづく信仰だけが、神に喜ばれる。
・外部からの強制なしに、内部から発展しなければならない。
要するに、特定の信仰を強制されるべきではないと。(私たちに分かりやすく言うなら、好きや嫌いはそれぞれ自由でいいと)
アウグスティヌスについて。
彼は学校で首席だった。
しかし、スクール・カーストの上位をしめていたのは、多少の悪さをしながら・女子たちとなかよくし・基本的には遊びまわっている、そんな生徒たちだった。
19才で、キケロの書物と出会った。哲学との出会いでもあった。
彼曰く。知恵がどうこうというよりも、キケロの愛の深さに、強く心をうたれたと。
寛容について書かれた本ではなかったかもしれない。(この『ホルテンシウス』という書物は、タイトルと断片的な内容しか現代に伝わっていないために、中身が不明なのだ)
しかし、いつか・どこかでは、キケロの寛容に関する考え方にも、触れていたはず。
アウグスティヌスは、初期の著作では、
〜内なる確信に基づく信仰だけが神に喜ばれる。外部からの強制なしに内部から発展しなければならない。〜
このような論を擁護していた。
しかし、カトリックと分派との争いを経て、「愛、二つの王国、そして両国の愛の理由は同じ」と言うようになった。
詳しくはこうだ。
もしも、それが人の魂を救う唯一の方法であるなら、「不寛容の行使」(武力を含む)を、キリスト教徒の義務とすることもできる。(アウグスティヌス書408番、書簡93番)
トマス・アクィナスも、限定的かつ条件付きの寛容の、多くの理由を示した。異端の容認に対して、当時、強い制限を設けた。
世の中で、寛容が、ヤヌスのような顔をしはじめた。
※ヤヌス:出入り口と扉の守護神(ローマ神話)。前後に反対向きの2つの顔をもつ。
その後、ルターが、個人の良心は神の言葉にのみ結びつくと主張して、プロテスタントの考えを擁護した。
激しい宗教対立のあった17世紀には、多くの寛容理論が、生み出された。
スピノザの『神学・政治論』、ベールの『寛容さ 哲学的解説』、ロックの『寛容についての手紙』など。
スピノザは
・国家には平和と正義を実現する使命がある
したがって
・国家には、宗教の対外的行使を規制する権利がある
それでも
・思想や判断の自由、内なる宗教に対する自然権を国家に委ねることはできない
とした。
ベールは
・信仰に関係なく無神論者も含め、全ての人に、特定の道徳的真実を明らかにするための、理性の「自然な光」がある
・宗教の真理と、理性を使って到達する真理とでは、認識論的性質が異なる
とした。
ベールは、この時すでに、無神論者に対する寛容についても、触れていた。ベールの理論は、ロックによる国家と教会を区別する理論よりも、急進的なものであったと言えるだろう。ベールは、寛容の普遍的に有効な議論を展開した、最初の思想家だ。
ここから、一気に時を進めて見てみる。
1940年代に、カール・ポパー氏が、「寛容の矛盾」を提唱した。
無制限の寛容は、寛容の消滅につながる。
結果的に、寛容な人々が破壊されるからだ。
合理的な議論や世論によって、それを抑制できる限り、弾圧は必要ないだろう。
しかし、拳や銃を使って議論に答えるような人たちには、制圧も必要だ。
ざっと、このような内容である。
※私が、自分の文章の主題にあわせて、一部のみを抜粋と要約している。
要するに、根性だけじゃどうにもならん、というような話だ。寛容は素晴らしいものだけれど、実際問題、寛容だけじゃ社会って成り立たないよねと。
寛容という言葉は、ラテン語の tolerare(我慢する・顔を見る・苦しむという意味)をもとにする。
︎︎︎︎︎︎☑︎自分が嫌いな、あるいは、同意できない意見や行動の存在を容認する能力。または、その意思。
︎︎︎︎︎︎☑︎許容できる信念や行動を条件つきで受け入れること。もしくは、干渉しないこと。
現代の寛容に関する議論は、この辺りのどこかに、座すのではないだろうか。
私たちは、寛容の一般的な概念とより具体的な概念(事例)を、区別して考える必要があるのかもしれない。
SNS上のとある言い争いを見たのがきっかけで、今回の内容を書いた。
同じトレーニングに励む人たちが、その中で、私のメソッドが正しい!あなたのは間違っている!と互いに言いあっていた。
場所も時代もテーマも全く異なるのに、いや、異なるからこそ。人は、本質的に変わらないんだなぁと。
参考文献