可能なるコモンウェルス〈30〉
ブルジョア階級が歴史的大変動の主要な一翼を担った、市民革命の時代。その精神的支柱となった政治的・社会的理論の側面では、トマス・ホッブズやジョン・ロックあるいはジャン=ジャック・ルソーなどといった、哲学史に名を残す錚々たる面々により、「社会契約」なる概念をキーワードとして盛んな議論が交わされていたわけである。
ところでこの「社会契約」概念について、実はそれを二種類のものとして区別することができるのだということを理解しておかなければならない、とアレントは指摘している(※1)。
「…第一のものは、個人同士のあいだで結ばれるものであって、社会を生むものと考えられた。第二のものは、人民とその支配者のあいだで結ばれるもので、正統的統治をもたらすものと考えられた。…」(※2)
これをホッブズの言い方に変換するとすれば、「第一のもの」については「設立されたコモンウェルス」という概念がそれに該当するところとなり、一方の「第二のもの」は「獲得されたコモンウェルス」という区分をそれに当てることが可能になるところだろう。さらにその「第一のもの=設立されたコモンウェルス」についてアレントは、この概念にもとづいて一定の人間集団あるいは人間共同体を作り上げるために、個人と個人の間で「人々がお互い同士結ぶ相互的な契約は、『互恵主義(reciprocity)』の考えにもとづいており、同時にそれは平等の観念を前提としている」(※3)ものなのだ、というように解に明かしている。
「…このような同盟(…=『アライアンス』の意。これは『societas』という古いローマ的観念から引き出され、『社会(ソサエティ)』あるいは『協合(コンソシエーション)』というような意味合いを持たされた共同体のこととなる、とアレントは説明している…)は、『自由で真面目な約束』によって同盟者たちの孤立した力を集中し、彼らを結びつけて新しい権力構造をつくる。…」(※4)
そして一方の「第二のもの=獲得されたコモンウェルス」についてアレントは、それが「所与の社会と、その支配者の間において結ばれる『社会契約』となる場合には、この契約締結の行為によって、その社会に内属する各成員は、自前の政府を作るためにはむしろ自分自身が有する『孤立した力と権力』を放棄する」(※5)こととなる、というように言っている。さらに言い換えるなら、このような「契約関係」において人々はむしろ「新しい権力を得るというどころか、おそらくこれまで以上に『あるがままの自分の権力』を放棄する」(※6)こととなり、かえってその「契約」の下では、「ただ単にその政府の支配下に入るという『同意』を表明しているにすぎない」(※7)ことにもなるのだ、とアレントは断じている。
そしてアレントは、この二種類の「社会契約」概念の対比を、次のように結論づけている。
「…ここの人についていうかぎり、相互約束のシステムでは多くの権力を得るのにたいし、支配者の権力独占に同意するばあいには同じくらい多くの権力を失う、というのは明らかである。…」(※8)
「…『互いに契約し、結びあう』人びとは、互恵的関係のためにその孤立を失うのにたいして、今一つのばあいには、守られ、保護されているのは、まさに彼らの孤立なのである。…」(※9)
一方、柄谷行人は「根本的には、国家は『獲得されたコモンウェルス』と言うべき」なのだ、と主張している(※10)。
「…いかなる国家であろうと、その根底には、独占された暴力による強制がある。同時に、そこには権利の相互譲渡(交換)としての契約がある。というのは、服従する者は『服従を条件にその生命を得る』からです。他方、服従させる者は、生命を奪う権利を譲渡することになります。…」(※11)
そこで柄谷は、いわゆるアレントが言うところの第一の社会契約である「設立されたコモンウェルス」については、それは獲得されたコモンウェルスから派生した「二次的なもの」にすぎないのだ、としている(※12)。たとえそこまで言わないとしても、社会契約という概念がそのように、「設立と獲得」の二つの側面から「区別」して見られていたのは(※13)、結局のところそのいずれもが「国家を前提としなければならなかったから」なのだということは疑いえない。そして、そこには結局「支配関係が生じている」のだという点について、それがたとえ「獲得されたもの」(言い換えれば『受動的』あるいは『従属的』)であろうと、逆に「設立されたもの」(『能動的』あるいは『自発的・主体的』)なのであろうと、その内容の如何に関わることなく、その「形式」としては結局何ら変わるところはない、というわけである。
〈つづく〉
◎引用・参照
※1 アレント「革命について」
※2 アレント「革命について」
※3 アレント「革命について」
※4 アレント「革命について」志水速雄訳
※5 アレント「革命について」
※6 アレント「革命について」
※7 アレント「革命について」
※8 アレント「革命について」志水速雄訳
※9 アレント「革命について」志水速雄訳
※10 柄谷行人「世界共和国へ」
※11 柄谷行人「世界共和国へ」
※12 柄谷行人「世界共和国へ」
※13 アレント「革命について」