可能なるコモンウェルス〈11〉

 いかに「絶対的な力と威厳」による支配の下にあったとしても、その被支配者たる人民はけっして、ただ黙って支配されているばかりであったわけではなかったのだというように、アレントはその心理を分析している。むしろ「誰かから支配されながら」も人々は、その一方においては「誰が自分たちを支配してはならないかということ」(※1)について抜け目なく敏感に嗅ぎ分けていたものなのであり、そしてそのような仕方で実態をあぶり出した、「けっして支配されてはならない支配者」に対しては、可能な限り忌避の姿勢と注意深く慇懃な態度で、当たらず障らず対応しておこうと常に努めていたようなわけなのであった。
 とはいえ、ある意味そのように「被支配の相手を選り好みする」かのような心情を密かに抱いていながらも、それが直ちに彼ら人民自身の判断として、「誰が自分たちを支配すべきかを決定するものとまでは考えられていなかった」(※2)というのもまた、一方では確かな話なのであった。
 当の人々がその時分、漠然と抱いていた考えとしては、たとえば「簒奪者を正統な王に代えるにせよ、権力を濫用した暴君を合法的な支配者に代えるにせよ、ともかくいつの場合でも、たまたま権威を持っていた人間を取り替えることを目的としていた」(※3)だけの話にすぎなかった。それを敢えて「自分たちの権威でもって決定すべし」などというほどの、強い意図やら意志などといったものも、彼らの誰一人として未だ全く持ち合わせてもいなかったわけである。ましてやそこから一段飛び越えて、「自分自身が支配者になるとか、自分たちと同じ身分から統治の仕事を任せる人を指名する権利などといったものについても、それまで誰からも耳にしたことさえなかった」(※4)し、そもそも考えられてきたことすらなかったというのが、彼ら一般的な人民の、その実際の有り様だったわけである。

 やがて時を経て、近代民主主義国家の主権者として、いわば「とうとう国家そのものとなった」はずの人民=国民はしかし、その国家の内部において、まさに当の「国家なるもの」を見出そうとするとき、なぜだか「主権者であり、まさに当の国家そのものであるはずの、自分たち自身の姿」を見出すのではなく、「主権者である彼ら人民の、その代表であるのにすぎないはずの、政府の有り様」(※5)であるか、あるいは「主権者である彼ら国民の、その意志を代行する機関であるのにすぎないはずの、政府の振る舞い」(※6)を、何よりもまず真っ先に見出してしまうこととなる。それは彼ら国民・人民が、「かつて自分たち自身が主権者ではなかった時分」に、つまり「主権者=絶対君主による支配の下、その被支配者となっていた時分」に、彼ら自身が見出し接していた「国家なるものの、その具体的な姿」というものがまさしくそのような、「政府権力=ガヴァメント」の形をとっていたからなのであろう。
 たしかに、その時分における彼ら人民の立場、すなわち「被支配者の立場」からすれば、いつの場合にでも「主権者もしくは国家そのもの」といったものは、そのように「国家およびその主権者の表象を代表し、その権能の執行を代行する立場にある政府の、その向こう側」で、かろうじてようやく垣間見えてくるだけなのにすぎないものであった。それを通して彼ら「被支配者人民」は、国家なるものの有り様を知る以外に、何ら手立てはなかったのである。

〈つづく〉

◎引用・参照
※1 アレント「革命について」
※2 アレント「革命について」
※3 アレント「革命について」
※4 アレント「革命について」
※5 柄谷行人「世界史の構造」
※6 柄谷行人「世界史の構造」

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