「かぜのてのひら」 俵万智
「 歌を作ることは、生きている証。この嵐の中で歌が作れなくなったら、死んだことになる。」
「かぜのてのひら」 俵万智
とても素敵な、思わず時が止まったかのような瞬間。その瞬間を切り取った色褪せた懐かしい写真。1枚の色褪せた写真を見ていると、次々と思い出が甦ってきます。
そんな写真のような思い出や風景、
匂いまで感じさせる短い言葉で綴られた歌。
俵万智さんの日常はすべて歌になり、風に乗って、心の川面をやさしくなで、僕の気持ちの中に光の粒を落してくれました。1枚の色褪せた写真のように。
心は目には見えませんが、心はふとした瞬間に語ります。
ふとした瞬間のしぐさ
ふとした瞬間の言葉
ふとした瞬間の哀しそうな眼
その瞬間のほんのわずかな揺れが、心を、気持ちを、雄弁に、正直に、語ります。
そういえばここが初めて会った場所今日は理由のある待ちぼうけ
語尾弱く答える我に断定の花束をなぜ与えてくれぬ
あの夏に君と笑ったお芝居のチケット栞にして読む詩集
どんな愛過ぎて今吾の前にいる知らずにいたいぐらい知りたい
「そのうち」と「ぜひまた」並ぶ君からの手紙どちらにあるアクセント
我が頬の髪を払える余裕見てしまえば寂しいキスと思えり
俵万智さんの第一歌集「サラダ記念日」は、ご自身の思いに反して反響を呼び、社会現象とまでなりました。
それは
俵さんにとって嬉しいのと同時に、辛いことでもあったのでしょう。こうあとがきに記されています。
第一歌集という恵みの雨が、いつか嵐のようになり、私自身が吹き飛ばされそうになりました。
しかし
そんな苦しい思いを支えてくれたのも、やっぱり短歌だったのです。
歌を作ることは、生きている証。この嵐の中で歌が作れなくなったら、死んだことになる。
この短歌集は、俵万智さん自身のすべてを賭けて、自然に溢れ出た感情が言葉に変わっています。描写されていない言葉の裏側の情景や、心の動きまでもが、読み手の心の中のスクリーンに映し出され、気持ちの良いゆらぎを生んでいます。
ぎこちない父との会話 茶柱が立てばしばらく茶柱のこと
ふだん着で待つことのほうがむずかしい二回着がえてもとのセーター
君の指から吾の指へ伝い来るてんとう虫のたしかな歩み
花ことば「さみしい」という青い花一輪胸に咲かせて眠る
はなむけの言葉を生徒に求められ「出会い」と書けり別れてぞゆく
「最後の」とつけば悲しき語なれり集会、そうじ、校歌斉唱
真っ白い紙の上に浮かび上がった短い言葉(歌)は、余白までもがため息がでるような静謐を思わせ、その背景には幻想曲が流れているかのようです。
【出典】
「かぜのてのひら」 俵万智 河出書房新社