「しあわせの言の葉」 山下景子
「残された書物をひもといてみると、女性たちが、すばらしい言葉をたくさん残してくれていることに、改めて驚きました。まるで、やさしく優雅な輝きを放つ言葉の海のようです。」
「しあわせの言の葉」 山下景子
前の記事で「トンカ書店」さんのことを書きました。
この本は、トンカ書店さんに行ったときに購入した本です。
この本が何度も目に入り、本を手に取り、ページを捲り、文章を追っていきました。
美しく上品な文章、古い時代から現代まで、過去を生きた日本の女性たちが残した「言の葉」を山下景子さんがやさしく訳しているかのようなエッセイは、「トンカ書店」さんの空気感とハーモナイズしているようでした。
「はじめに」で山下さんはこのように記しています。
その表現のように、私たちの力となる「言の葉」が各頁に咲いています。
しかし
山下さんがこう語っているように、歴史上、権力者によって編纂された書物は、女性の記述が少ないと考えられます。
そんな中で残された書物をひもといてみると、すばらしい言葉がたくさんあることに山下さんは気づきます。
やさしく優雅な響きを放つ、言葉の海のようだと。
それらの言葉からインスパイアされた山下さんの文章もまた、優雅な響きを放っています。
そんな響きが、震えるように伝わってきた3篇がありました。
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女性史研究家の高群逸枝(たかむれ いつえ)
高群逸枝は「女性史」の数ある著書の中で、それらの著作とは趣の違う「日記」も書いています。
高群夫妻は、新鮮な卵を求めて鶏を飼っていました。
飼っているうちにすっかり鶏がかわいくなり、その日記の中に「愛は理くつでなく存在である。」という言葉を残したのです。
山下さんはその言葉を受け、自身の愛犬のことをこう記しています。
この言葉は、自分のまわりの人にもそう思います。
子どもや兄弟、両親、そして自分にとって大切な人。
ただ、いてくれるだけでいいと。
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向田邦子さんにとっての愛は、「小さな部分」なのだそうです。
それは
思わずさしのべる手や、やさしい微笑みや、ちょっとした心遣い。目に見えるものではない、ちょっとした心のぬくもりが他者に向けられたもの。
肌と肌が触れ合った時に感じるぬくもりのように、「小さな部分」によって気持ちがあたたかくなるといいですよね。
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野中婉(のなかえん)は、江戸時代中期の医師で、土佐藩家老の野中兼山の娘(4女)として生を受けました。
野中婉の父・野中兼山は謀略により失脚、急逝。
罪は家族にも塁が及び、野中婉の母、兄弟姉妹7人が獄中で過ごさなければなりませんでした。このとき婉は4歳。
兄弟姉妹が獄中で次々と亡くなっていく中、婉だけが生き残ります。
そして
婉は44歳のときにようやく赦免されるのです。気の遠くなるような40年間の幽閉でした。
それから婉は、医師になりました。
山下さんは、現代の夢や目標も「おぼろ夜の月」だと言います。将来のあたたかいイメージ映像のようなものだと。
具体的に詳細に目標を設定し、実行することも大切だと考えますが、このような遠くから光が差し込むような〝おぼろ夜の月の光〟は、自分にとって「夢のようなやさしい希望」になるなぁと心を慰めてもらいました。
この歌は親戚の娘さんが後妻として嫁ぐときに、婉さんが贈った歌なのだそうです。
「五月闇」は、梅雨のころの暗闇のことで、「文目(あやめ)」は綾織物の織り目、「物事の道理」という意味です。
婉さんが獄中で感じていた言の葉は、生きる力として〝おぼろ夜の月〟のように私たちを照らしつづけてくれるでしょう。
【出典】
「しあわせの言の葉」 山下景子 宝島社
いつも読んでいただきまして、ありがとうございます。それだけで十分ありがたいです。