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「幸せについて」 谷川俊太郎
「過去が気にならない、未来も気にならないで、「いま・ここ」に在る。これが、ぼくの考える幸せの基本形です。
「幸せについて」 谷川俊太郎
僕は本の「あとがき」から読む習性がありまして、この本もいつものように「あとがき」から読んでいると、この言葉から目が動かせなくなっていました。
ウォーコップというイギリスの哲学者は、生きることを「死を回避する挙動」と「生きる挙動」の二つに分類しました。
我々現代人の日常的な行動の大半は、「死を回避する挙動」から成っています。だから「癌になったら怖い」とか「まだ死にたくない」とか、そういう不安や怖れの気持ちが出てくる。
でも本当は「生きる挙動」のほうがずっと大切で、これはなんだか訳がわからないけれども、自分の内面から湧いてくるエネルギーのようなものなんです。
本当の幸せというのは、そういうふうに、なんだか訳がわからないけれども自分の中から湧き出てくるものだというふうにぼくは考えています。
この本は、詩人の谷川俊太郎さんが「幸せ」について語った、詩のような哲学のような箴言のような、そんな言葉のつらなりを一冊にまとめています。
一冊丸ごと「幸せ」について、言葉を綴っています。
ふと、頁をめくる手を止め、「幸せ」とは、いったい何なんだろう? と考えたとき、この言葉が目に留まりました。
どうすれば、何があれば、幸せになれるかと考えているとき、ヒトはあんまり幸せではない。
そうかもしれない。
「あー今日は楽しかった。本当に楽しかった。幸せだった!」と感じるときは、とくに考える行為をしていなくて、うまくいっていないとき、悩んでいるとき、つらいときほど「どうすれば幸せになれるのだろうか?」と悶々と理論的に考えてしまっています。そういったときは、たしかにあまり幸せな状態ではないんですよね。
幸せというのは、言葉や意味というよりも、感覚的なものかもしれないと思い至ったのです。
幸せなんてコトバほんとは要らない
けれど、谷川さんの詩的な言葉のつらなりには、感覚的で情感あふれるコトバたちが、五線譜の上でステップを踏んでいるような、そんなワクワクした気持ちにさせてくれます。
そう感じた谷川俊太郎さんのコトバをいくつか
じゃれあっている二匹の子猫を見てると、どうして幸せな気持ちになるんだろう? 子猫たち自身もきっと幸せなんだろうな、幸せってコトバは知らなくても。
さっきは幸せだとおもっていた、今はもう幸せじゃない、でも青空のもと輝く雪山を見たら気が変わった! 幸せが儚いとしたら、不幸せだって儚いのさ。
目の前にいなくても、その人がいると思うだけで幸せになれる、そんな「その人」がいるのは幸せだ。
愛されているのは最高の幸せだけど、もしかすると愛されていなくても愛している幸せのほうが、もっとずっと深く長くヒトを支えるかもしれない。
日本がアメリカと戦争していたなんて想像もつかない人たちもいるけど、一九三一年生まれのぼくは、米軍機の空襲を東京杉並の自宅で体験している世代。
空襲警報のサイレンが鳴ると、役に立たないと知りながら庭に掘った防空壕に入るわけ、眠くて嫌なんだけど、それが不幸せという認識はなかった。
でも警報が解除されて布団の中に戻れた時は、幸せって感じたんじゃなかったかなあ。子どものぼくでさえそうだったんだから、戦争でひどい目にあった人たちは、どんなにささやかであっても平和であることの幸せを骨身に徹して知っているに違いない。
いろんな角度から見た幸せ。
それを87歳の谷川俊太郎さんが感覚的な言葉で捉えているので、しみじみと感じ入ることができました。
目には見えない大切なものを感じ取れる1冊です。
【出典】
「幸せについて」 谷川俊太郎 ナナロク社