「52ヘルツのクジラたち」 町田そのこ
「わたしは、あんたの誰にも届かない52ヘルツの声を聴くよ」
「52ヘルツのクジラたち」 町田そのこ
声にならない周波数。
「たすけて!」
その声をキャッチできる人。
その周波数に耳を澄ませられる人。
そして、行動できる人。
同じ苦しい気持ちを背負っている人たちに手を差し伸べ、希望をあたえられる人。そんな共鳴に、この本を読んで、自らの魂の周波数を合わせられたことに感謝しました。
途中、キツイところもありました。
しかし
魂の躍動が、ページを捲る手を止めることはありませんでした。
微弱な震えが読んでいる間、ずっと続きました。
そして
わかりあえることの素晴らしさ、奇跡が、僕自身にとっての52ヘルツの震えだったとはっきりわかりました。
虐待というものは
こうも子どもたちを洗脳してしまうものなのか。
なんて残酷なのか。
愛情の欠片もなくなるのか。
貴瑚 (キコ) は子どものころ、母と義父に何度も冷たい仕打ちを受けました。
言葉による鋭利な刃物を何度も心に突きつけられました。食事も満足に与えられず、ずっとトイレに閉じこめられ続けても、母親を愛していました。
寂しくて泣くと、トイレのドアがおもむろに開きました。でも、それは助けではなく、ただただ殴られ、トイレの中での生活は延長されるのでした。
それでも、母親の愛情を待ちつづけました。
それでも、お母さんに愛してほしかった。
虐待は、大人になってからも続きました。
義父の介護を強制させられ、義父と母に罵声を浴びせられ、木の杖でことあるごとに殴られつづけました。それでも、私が悪いと思ってしまう。
虐待の実態がリアルな痛みとなり、
読んでいる自分に突き刺さってきました。
貴瑚はもう限界となり、ふらりと義父の病院を出て彷徨います。
そのときです。
学生時代の友人、美晴と偶然出会ったのです。
美晴はそのとき一緒にいた男性のアンさんと、貴瑚を居酒屋に強引に連れて行きました。それほど貴瑚が危うい状態になっているのを、2人は危惧したのです。
アンさんは、貴瑚をキナコと呼びました。
「アンとキナコって相性よさそうでしょ」
と言って。
2人はキナコに事情を聞きました。アンさんはキナコに言いました。
そして
アンさんは彼女の母親に掛け合いました。
キナコを解放するようにと。
母親の家を出たあとも、幼いころに受けた傷の根っこにより、キナコは思いもよらぬ方向へと導かれていきます。
キナコは邪悪なものを邪悪と受け取れず、間違った「愛情」へと変換してしまうのです。
アンさんの本気の心配も、キナコには届きませんでした。
そのために、本当に大切なものを失ってしまいました。キナコは、心の底から傷つきました。
キナコは辛い状況から抜け出して、祖母の住んでいた大分県の海辺の家に移ってきました。
「もう誰にも会いたくない」
「ただ一人になりたい」と。
キナコはもう会えなくなってしまった
アンさんの言葉を思い出しました。
キナコは辛いときにアンさんの言葉を思い出し、52ヘルツのクジラの声を聴きました。
キナコはこの田舎町に来てから偶然、イトシという男の子に出会います。
はじめ、女の子と間違ってしまいました。体はか細く、髪の毛は長かったからです。さらに服は汚れていてスニーカーはボロボロ、サイズもあっていない。
身体についていた痣を見て、キナコは気づきました。虐待されていると。
イトシは、母親から「ムシ」と呼ばれていました。言葉も喋れなくなっているほどです。キナコは紙に書いて意思伝達しました。
警察に連絡することも考えましたが、キナコ自身の体験から虐待がエスカレートすることも考えられ、自制します。キナコはイトシを保護しました。
虐待は、ひとつ間違えると取り返しのつかない怖さにつながります。実際の虐待のニュースからも考えられるように、この問題が戦慄に変わる瞬間でありました。
以前、新聞に書かれた記事です。
学校のいじめアンケートで「先生、どうにかできませんか」と訴えていた。しかしどうにもならなかった。
「ひみつをまもります」と約束して書かせたのに、市教委は父親へコピーを渡している。
周囲の大人たちは、この少女を守ろうと手を引かなかった虐待する両親へ 「もうおねがい ゆるしてゆるしてください」とつづる。
しかし暴力はやまず、5歳の女児が死亡したのは昨年のことだ。やりきれない事件がつづく俵万智さんの歌。 〈家族にはアルバムがあるということのだからなんなのと言えない重み〉。
あの少女のアルバムにほほえみの写真はいくつあったろう。 2019.2.3
【神戸新聞 朝刊 正平調 2019.2.3 より】
この問題はなんと難しいのでしょう。
闇の奥に、またさらに深い闇があるのです。
この物語には
救いと希望がありました。
素晴らしい友人がいました。
52ヘルツの声を聴いてくれる人がいました。
でも、未だに声の届かない深い闇を彷徨っている子どもたちがいます。
52ヘルツの声をあげている子どもたちがたくさんいると思うと、どうしようもない、やるせない思いがこみ上げてきました。
何もできない無力な僕は、ただただ立ち尽くしていました。
ようやく、美晴とイトシのこの言葉によって平静を取り戻すことができました。
わかりあえる人たち、それが魂の番(つがい)
貴瑚は魂の番(つがい)に出会い、自らも魂の番(つがい)になりました。
この物語は貴瑚の一人称の語りでありますが、最後の語りは町田そのこさんの魂の叫びであり、静謐な祈りでありました。
そして、それは
この物語を読んだ読者すべての祈りでもあったのです。
2021年本屋大賞
【出典】
「52ヘルツのクジラたち」 町田そのこ 中央公論新社
P.S. 帯の裏側に書かれているスピンオフを読むと、また最初に戻って読んでしまいます。このお話もよかったですよ。