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「好きな作家は?」ときかれた時に

ある女性から、
「好きな作家は?」
と尋ねられた。私たちは電車のボックス型座席に向かい合って座っていた。
私は40代前半、彼女は20代後半だった。

「そうだなあ……三島由紀夫大江健三郎村上春樹 ── この3人かな?」
「ええ! ホントですか? ええ? 驚いちゃった! 私もその3人、三島由紀夫大江健三郎村上春樹 ── なんです! へえ……すごい! これまで生きてきて、3人全部が同じ人に会うなんて! ── こんなこと、初めてです!」
彼女は目を輝かせた ── いや、その、つまり、そう見えた。

私はそのひとに好意を持っていた。
だからこちらも密かにときめいたのだが、一方で、3人とも人気作家だし ── 実際、有力なノーベル文学賞候補者にもなった(大江サンは受賞もした)くらいで、驚くほどの事ではないのかもしれない。
目を輝かせたのは、単にオジサンへのサービスだった可能性も否定できない。── いや、そう見えたことすらも、オジサン自身の錯覚だったのかもしれない。

もちろん、この3人はその時点 ── というより、大人(高校生以上をオトナと言いたい)になってからの『好きな作家』であり、その前は違う(そもそも村上春樹はデビューすらしていない)。

中学の時にきかれたら、なんて答えただろう。
・アガサ・クリスティー
・エドガー・ライス・バローズ(火星シリーズ読破!)
・北杜夫

と答えたかもしれない。
プラス、この頃によく読んだけれどおそらく恥ずかしくてその名は挙げなかっただろうなと思うのが、
・森村桂
だった。最後のひとりは、なぜあんなに読んだのか、よくわからない。孤島・離島・遠島Loverとして、デビュー作の『天国にいちばん近い島』に魅かれたのだろう、きっと。

例えば中学の時、好きな女の子に同じ質問をされて上記3人の作家を挙げたとしたら、それは、自分自身を示唆的に語る上で重要だったかもしれない。

つまり、こういうことだ:

アガサ・クリスティーの推理小説を読んだのは、謎解きの論理性を愛していたからだろう。私は数学も自然科学も好きだったが、おそらくそれらを論理的な『謎解き』と重ね合わせていたからかもしれない。

バローズの火星シリーズと金星シリーズを全巻読んだのは、もちろんSF冒険ものが好きだったからで、中学1年の時は自分でSF小説を書いていたくらいだ。
しかし、もうひとつ、おそらく重要だったことがある。創元推理文庫の火星シリーズ表紙は、かなり(当時としては)露出度高めの女性の絵で飾られていたことだ。
このプリンセスにはかなり ── モエた。

こんな絵です!
当時の版とは違いますが……

情報量の多い現代の中学生は、ハア?と呆れるかもしれないが、与えられる情報が限定的であるほど、受ける側は想像力で補うものである。
その意味でむしろ、キミたちが気の毒でならない。

北杜夫は『どくとるマンボウ』シリーズなどのエッセイはもちろん、『奇病連盟』などのユーモア小説、『怪盗ジバコ』『さびしい王様』のようなファンタジーもよく読んだ。
おそらく、笑いを生む物語を愛したのだと思う。
この傾向は、
・筒井康隆
・井上ひさし

の両巨頭の作品を高校から大学にかけて読破する流れに続いたのだと思う。

いや、まてよ、じゃあ、電車の中で、
「好きな作家は?」
ときかれた時に、この両巨頭をなぜ挙げなかったのか?

……おそらくだが、私は無意識のうちに、
(この女性は、筒井康隆、井上ひさし ── このふたりの作品はあまり読まないだろうな)
と考え、候補から外した可能性がある。

うーむ。
無意識のうちに罠を仕掛けたのだろうか?
いやいや逆に、
「ええ! ホントですか? ── こんなこと、初めてです!」
の罠にかかったのだろうか?

ところで、中学の頃までは外国人作家の翻訳小説をよく読んでいたのに、高校のある時期からまったく読まなくなる。
── それには明確な理由がある。

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