インディアンの儀式(スウェットロッジ)
先日、知り合いのご縁で、スウェットロッジというインディアンの伝統的な儀式に参加させていただいた。
あまりにも奥深い儀式なので、簡単に語る事はできないが、率直に感じた事や、自分自身の解釈で文章に残したいと思う。
スウェットロッジはインディアンの7つある儀式の中でも、一般的かつ重要な儀式で、“祈りと浄化”の儀式だ。
様々な儀式の前後にも行われるらしい。
スウェットロッジ当日、朝7時半頃に自宅を出た。
その日は雨の予定だった。
対自然において、天候は気にする事じゃない。
雨は場合によっては恵みの雨にもなる。
どんな儀式なのか、どんな事を感じるのか、何もわからないが、心は行くべきだと示している気がした。
思うがまま、千葉県某所まで車を運んだ。
実は、インディアンについては、以前から関心があった。
インディアン部族は、ルールや法律を持たない。
仲間の過ちに罰する事はせず、過ちを犯した仲間が正しい道を歩めるように模索する。
一世代先ではなく、七世代先の先祖の事まで考えて今を生きている。
お互いがお互いを敬って成り立っている部族だ。
そんな、思いやりで回っていくようなコミュニティを作りたいと願っていた自分にとって、ものすごく興味深いものだった。
また、インディアンのこの地球上のあらゆるものへ感謝する姿勢が、日本人の神道文化である“八百万の神”に通ずるものがあるとも思っていた。
そのインディアンが行う儀式に興味が無いわけがない。
車を走らせ、待ち合わせ場所のコンビニへ到着すると、今回行われるスウェットロッジを紹介してくれたKが、ほぼ同時に到着した。
Kを車に乗せて、近くのスーパーへ買い出しに行った。
今回、Kは月経の為、儀式には参加できない。
というよりは、参加する必要がない。
(厳密には、儀式で使われる子宮を意味したドーム状に組まれた木の中へは入らないという事であり、儀式には参加している)
この儀式は“祈りと浄化”の儀式であり、かつ“再生”(再び生きる)の儀式でもある。
儀式終了後、新たな自分として、子宮から再び生まれるのだ。
インディアン部族であるラコタ・スー族は、大地を母、天を父、月を祖母としている。
また、地球も人間も全体の70%を水で占めている事から、人間の中にも地球があると言われている。
人間の月経周期は、文字通り月と同じであり、ラコタ・スー族はそれを『ムーンタイム』と呼んでいる。
祖母である月は、人間以外にも、自然界のあらゆる動植物の種を蒔く時期を決めており、地球上の多くの生物が満月の夜に産卵を行う。
ムーンタイムである女性は、古くなった生命を洗い出し、新しい生命が宿る準備を整える時期にあるため、ムーンタイムの女性には、強大な力があると考えられている。
ムーンタイムの女性が、スウェットロッジに入らないのは、“再生”という事を体(地球)の中で既に行っているからであり、自然界において女性は敬うべき対象なのである。
逆に男性には生命や、何かを生み出す力はない。
スウェットロッジ前にスーパーに寄ったのは、儀式後の食材の買出しだった。
ムーンタイムでドームに入れない女性は、儀式後の食事を作って、みんなへ食事を振る舞ってくれる。
祈りを捧げる事に、協力してくれるのだ。
買出しが終わり、すぐにスウェットロッジが行われる場所へ向かった。
駅から車を10分ほど走らせ、入り組んだ山の中を超えていくと、車が5〜6台停車していた。
その場所が、今回の行われるセレモニーの会場だった。
時刻は正午ちょっと前。
古民家が一軒と、その前には木をドーム型に組んだものと、ティピー型に組んだものと2つが並んでいた。
今回スウェットロッジでは、ドーム型の方を使う。
到着すると既に、ファイヤーマン(火の番人)と呼ばれる人が、儀式に使用する溶岩を火で温めていた。
スウェットロッジは直径2〜3mほどのドーム型に組まれた木の上に、毛布を2〜3周ほど覆った状態で行われる。
それは、女性の子宮を意味しており、その真っ暗になったドームの中に入り、真ん中に熱々に熱せられた溶岩が7個置かれる。
その溶岩に水をかけ、蒸気で満たされたドームの中で、魂を浄化をし、皆で祈りの歌を歌い、それぞれ感謝や祈り、個人的な悩み事の解決、世界の平和を願うのだ。
そして子宮から再び生まれるというものだ。
溶岩の数が7個というのにも意味がある。
インディアンの伝承によると、世界には7つの方角があると言われている。
東西南北で4つあり、上下で6つ、そして7つ目の方角は自分自身。
7つ目の方角は一番近くて、一番遠いところにあり、一番強大な力に満ちている。
許されたものだけが辿り着ける、神聖な方角なのだ。
世界を意味する7つの方角の通り、溶岩を7つ置くのだ。
ファイヤーマンが溶岩を温めた後、儀式が始まった。
時刻は13時。
ファイヤーマンは、セレモニー中、火を守り、中の人の為に祈り続けてくれる。
男性は上裸になり、女性はワンピースやロングスカートになった。
女性が先頭になり、男性が後に続く。
皆ドームの前で、捧げ物であるタバコをファイヤーマンに渡し、“All my relations”(私に繋がる全てのもの)と唱え、四つん這いで時計回りにドームの中へ入っていく。
遂に自分が入る番になった。
“All my relations”
心から唱えた。
男性陣の先頭になり、一番奥の真ん中に座った。
そして、熱々になった溶岩が一つ一つ置かれていく。
太鼓の大きな音と共に、祈りの歌が歌われる。
なんと言っているのか、どういうリズムなのかはわからないが、一緒に口ずさむ。
祈りの歌が終わり、石に水がかけられる。
ドームの中は蒸気で充満し、息苦しいほどの熱さが全身を包み込む。
汗がボタボタと流れ出てくる。
そして、一人一人、順番に自分の心の内を吐き出す。
暗闇の中、熱々に熱せられ、体の限界を迎える中、心の内を曝け出し、感謝や祈りの言葉、願いを曝け出すのだ。
無駄な考え事などできないほど、体は浄化しきっており、言うならば、“身体”が限りなく“魂”に近くなっているような状態だ。
口先ではなく、魂からの言葉が出てくる。
そして、また皆で祈りの歌を歌う。
心が震え上がるほど、美しく、感謝の念が湧き出してくる。
救いの場ではなく、とにかく溢れんばかりの感謝と祈りを捧げる。
目には見えないあまりの美しさに、涙が滲んだ。
自然の一部である人間が、自然界に心から感謝し、祈り、歌うのだ。
こんなに美しい光景があるのか。
熱々の中、意識も朦朧とし、1ラウンドが終了した。
スウェットロッジは4ラウンド行われる。
感謝の気持ちを忘れずに、外に出ると、水と風、雨によって体が冷やされていく。
自然からの恵みに、命を救われる。
そして再び、4ラウンド祈り続けた。
4ラウンド終わり、今回一緒に祈りを共にしてくれた仲間達ひとりひとりに感謝を伝えた。
時刻は17時。
みんながいたから、心から祈る事ができた。
その後、ファイヤーマンの祈りの為に、希望者のみ、もう1ラウンド行う。
感謝と祈りの場を、ファイヤーマンが提供してくれ、聖なる火を守り、また自分たちに祈りを捧げてくれた。
体はとうに限界を迎えていたが、ありがたさから、入らない訳にはいかないと感じた。
次はファイヤーマンの為に祈り続けた。
全ての儀式が終了すると、時刻は18時になっていた。
共に祈ってくれた仲間達と抱き合い、感謝を伝えた。
セレモニー終了後、ムーンタイムで入れなかった女性達が、持ってきた食材で食事を用意してくれていた。
山に生えていた筍も食材に使われていた。
絶妙なバランスで自然界は循環しており、みんなで支え合って生きていかなくてはならない。
セレモニーもまた、全ての支え合いで成り立っている。
全ては繋がっている。
今回のセレモニーで、インディアン文化に触れたと同時に、自分は日本人である事を再確認し、またインディアン文化と共通する日本文化も大切にしたいと感じた。
日本人としての誇り、自分自身も自然の一部であり、循環の一部であること。
その中で、日本人として、一人の人間として、何が自分に出来るのか。
答えはない。
自分が出来る事を全力でするだけだと思った。
そして、セレモニー中だけではない。
毎日が祈りであり、行動する事にこそ意味がある。
これは武士道精神にある『知行合一』にも通ずる。
論語読みの論語知らずでは意味がない。
ちっぽけな存在だが、自分に降りかかる全てのものを、味わうんだ。
そして、ただ感じる。
その感じた気持ちが、自分を活かす活力になる。
残り60年も生きられるかわからないが、出来る事をしよう。
7つ目の方角は一番近くて一番遠い、最も神聖なる方角。
自分の心の中へ向かう旅は、生涯かけての旅だ。
“All my relations”
私に繋がる全てのものへ、感謝。